「いじめられている」という意識に縛られて

「姉たちも妹たちも、父の世話は一度もしなかったよ。なのに、私を馬鹿にして。みんなで私をいじめぬいて」。

義母は、私たちの暮らしの中で、何度もそう繰り返した。特に「いじめぬいて」というワードは、私たちの間で軋轢が生じたとき、必ず登場した。
そんな姉妹関係だったが、唯一、長姉だけはトミ子をかばっていた。だから、結婚後も義父との暮らしに疲れると、姉のところに「里帰り」した。伯母も、頼ってくる妹を受け入れてやった。伯母の家は、実家ではなかったが、彼女にとっては実家と同等の「帰るべき場所」だったのだろう。

ただ、義母のわがままは留まることを知らなかった。まるで、子どものころ親に甘えられなかった分を取り戻すように、義母は姉夫婦を振り回した。そして拒まれると拗ねてしまう。自分から頭を下げることはなかった。自分が歳を重ねた分、姉夫婦も年老いているという事実を認めることができなかったのだ。

家で義母に食事を持っていってやったり、病院に連れて行ったりするとき、昔話を振ってみることがしばしばあった。すると、彼女の口から出てくるのは、小学生時代の話題ばかりだった。その後あったはずの学生生活や人間関係については、語られたことがない。どんな友だちがいたかもわからないし、些細なエピソードの一つも紹介されなかった。記憶に残る友だちが、たいてい一人や二人はいると思うのだが、それもなかった。付き合いが浅かったのか、忘れ去ってしまったのか、あるいは、忘れたふりをしているのか。

自身の小学生時代だけを、義母は語って聞かせた Photo by iStock
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「私もね、小さい頃はおちゃめだったのよ。小学校では、みんなと暗くなるまで遊んだね。そうすると、担任の先生が『ちゃんと帰るんだぞ』って見送ってくれた。最後の一人が帰るまで、門のところで立っていて。あの先生は、本当にいい人だったね、うん」

このときの担任は、授業で『七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき』という兼明親王の和歌を教えてくれた先生である。義母はこの歌を、ずっと忘れずにいる。彼女が心から幸せな気持ちでいられたのは、小学校にいるときだけだったのかもしれない。

実の父の介護を一人でするというのは簡単ではないはずだ。その労力は優しさからではないのだろうか。しかしその父を憎んでいたともいう――。義母の謎の行動が、幼い頃からの体験も影響しているということはわかってきたが、ますます義母というのが実際どういう人なのかはわからなくもなってきたのだった。

介護を引き受けるのは、簡単にはできない…Photo by iStock

【次回は5月25日(火)公開予定です】

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