口答えしたら父親が包丁を…

思春期に差し掛かると弁が立つようになり、親に反抗したりする女の子は少なくない。義母姉妹の自意識が芽生えて父親の「圧政」に抵抗しようとすると、激烈な怒りに触れた。
「妹が父に口答えしたことがあるんだけど、父はいきなり包丁を持ち出してね。お膳にそれを突き立てたんだよ。『そんなに文句があるなら、俺を殺してからにしろ!』って、すごい剣幕で。いつもそんなかんじで怖かった」。

いくら明治生まれの頑固親父でも、自分の娘を黙らせるのに包丁を持ち出すとは。手を挙げられたことはなかったらしいが、娘たちの恐怖はいかばかりだったか。

直接手を挙げられなくても、包丁は子どもたちに恐怖を植え付ける。もちろん時代もそういう時代ではあったかもしれない。たとえそうでも、子どもの心に恐怖が植え付けられて当然だ Photo by iStock

昔は女が高等教育を受けることは珍しかった。姉妹のうち2番目と3番目が看護師、下二人が美容師になって家計を支えた。長姉の伯母だけは、特に資格を取ることもなく、結婚後は縫い物の仕事を請け負いながら暮らした。

高齢になった父親は介護を要するようになった。しかし、独裁者だった父親の面倒を見たのは、義母トミ子だけだった。ほかの姉妹は婚家先の用事を理由に、実家へ寄り付かなかった。恐ろしい思いをしてきたはずなのに、義母が実家に足繁く通い、甲斐甲斐しく父の世話をしたのはなぜだろう。

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家族に見下され、寂しさで閉ざされた心

私たちが同居後に気づいた義母の特徴や性質と、若かった頃の彼女と家族の関係を考え合わせると、義母トミ子は成長する過程で、心の根っこの方をひどく傷つけられたのかもしれない。

義母は、子どもの頃から字を読んだり書いたりするのが苦手で、かつ人の話を正しく理解できないことがあったようだ。義母自身が姉妹について語るとき、ときどき不快な記憶が蘇ることがあるらしく、「母親も、二番目の姉も、妹たちも、何かというと『トミちゃんは馬鹿だから』って言った。私はずっと馬鹿にされてきたんだよ」と吐き捨てるように言うことがあった。

それが事実かどうか、今となってはわからない。しかし、義母が「そういう体験をしたと信じている」のは確かである。とすると、いくら父親が横暴だったとしても、自分を蔑む姉妹よりマシだと感じられたのではないだろうか。だから、すっかり衰えた父親の世話をするため、足繁く実家に通って看取ったのかもしれない。