義母と伯母が、何やら口論し始めて収まらなくなったらしく、「けえれ、けえれ」、と追い出されることになったのだ。
私たちが迎えに行くと、伯母はうんざりした顔で訴えてきた。

「いやもう、わがままでわがままで。のんびりするのはいいが、上げ膳据え膳でちっとも動かねえ。それだけならまだしも、買い物したいからこっちに連れて行け、あっちに車出せと振り回すのさ。こっちも年取ってるから疲れちゃってさ。ちょっと注意したら、機嫌悪くなって、『私はちっとも悪くない』の一点張りだ」

本人は知らんぷりしている。夫が平身低頭で謝る。「半沢直樹」ワンシーンさながらの騒ぎで義母に手をついて謝らせ、その場は収まった。
そして、なんとはなしに昔話になったのだが、義母の人格形成に影響したかもしれない家族の様子がわかったのである。

義母のきょうだいの口から語られたことは…Photo by iStock
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母は意地悪、姉妹は信用できない、父は独裁者…

義母は先述したとおり、5人姉妹で育った。母は体が弱く、5人姉妹をまんべんなく面倒見ることができなかった、と伯母は説明した。義母の解釈は違っており、自分の母親は人の好き嫌いが激しかったと言っている。「2番目の姉は母のお気に入りだったから、しょっちゅうひそひそ話をしてたんだよ。私をチラチラ見ながら内緒話をしてるから、きっと二人で私の悪口でも言ってたんだろう」と、義母は憎々しげに言ったものだ。もう何十年も前のことを、いまいましそうに話しては、目を吊り上げた。

私たちが義母を迎えに行った日、伯母は自分たち姉妹がどう育ったか、語ってくれた。
姉妹が全員未成年のころ母親が病死し、以後は父親ひとりが保護者となった。この父親(つまり夫の祖父)というのが、かなり癖のある人物だったらしい。裕福な家の出身で、東京の大学を卒業した彼は、貿易関係の仕事をしていた。自分は特別だと考えていたフシがあり、人を学歴で値踏みした。時代もあったのだろうが、女性の人格を認めることはなく、常に高圧的な態度で姉妹に接した。