義母の行動に違和感が――結婚してそう感じることは残念ながらあるだろう。他人同士なのだから、たとえ子ども同士結婚を決めてもその義理の両親と相性がいいとは限らない。しかし、どうせなら仲良くしたいと思うのも当然の感情。でも、自分にだけ意地悪なのではないらしい――そんなとき、どうしたら関係の改善ができるのだろうか。

義母の謎の行動に長く悩んでいたのが、フリーライターの上松容子さんだ。結婚前に夫の実家を訪ねた時、専業主婦の鏡のようにかいがいしく夫の世話をやく義母だったが、孫である上松さんの娘がアニメのビデオを見ながら話しかけても無視したり、義父ががんとなって亡くなった時に驚くような言動を見せたり、実家売却のときに勝手に格安で売却してしまったり……義理の娘である上松さんは戸惑うばかりだった。

上松さんの父ががんとわかり、一時期同居を提案した時の冷たいはねつけには心が凍り付いたが、一人にしておくこともできず、二世帯住居での同居を決意する。しかし同居がはじまると、お願いしては直前に断ったり、誰かに見張られていると騒いだりという義母の行動に振り回されることとなってしまった。そして義母が転んでけがをしたのを機に病院へ行くことができ、軽度の「認知症」と診断される。並行して、実の息子である夫に対して、幼少期からかなり冷たい態度だったことも知る。

連載「謎義母と私」、今回は、義母のきょうだいと話し、義母の謎行動の理由に近づくまでをお伝えする。なお、個人が特定されないように上松さん自身もペンネームであり、登場人物の名前は仮名としたドキュメンタリーである。

容子    20代後半で結婚。現在50代
夫     容子と同い年。営業職
明子    容子と夫の一人娘
義父       東京近郊在住 大正生まれ 中小企業社長
義母トミ子 昭和ヒト桁生まれ 元看護師 専業主婦
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「姉に甘えたい」義母の里帰り

「東京は怖い」「東京は疲れる」というのが義母の口癖だった。私たちが住んでいるのは、東京と言っても霞が関でも銀座でも西麻布でも新宿でもない、ごくありふれた住宅街である。それでも、栃木で育って埼玉の北部で暮らしてきた彼女からすると、生活のスピードが速く、悪賢くて信用ならない人間の住む街、という印象なのだった。だから、極端に用心深くなって、ご近所ともできるだけ関わらずにいたのだ。

大都会ではなく、東京に多い住宅街だったのだが(写真はイメージです。本文の住宅とは関係ありません) Photo by iStock

近所の地理があらかたわかって、買い物には不自由しなくなった。無趣味な義母は、買い物さえできていれば機嫌が良かった。しかし、急に「疲れた」と言って、栃木に住む長姉に会いたがることがあった。

東京にやってきてから2年ほどたったそのときも、Tちゃん(長姉の伯母)のところに連れて行ってくれと夫に頼んできた。ひと月ほど骨休めしてくるという。1カ月分の荷造りをし、通帳と印鑑を持たせ、手土産を用意して、私と夫で伯母の家まで連れて行くことになった。

伯母には子がなく、伯父の定年後は夫婦二人で静かに年金生活を送っていた。5人いる姉妹の中で、このT伯母は唯一あけっぴろげな性格で、人を笑わせるのが好きな気のいいおばさんである。財力があるわけではなく、行動力・決断力も人に勝っているわけではないけれど、夫婦そろって明るい人物だったから、ほかの姉妹も何かというと頼ってくるのだった。このときも、義母は姉夫婦に癒やしてもらうつもりで訪れたのだ。

ところが、それから1週間ほどして、伯母から夫に電話が入った。

「悪いけど、トミ子迎えに来てくれ。もう我慢ならねえわ」。