マンガ/伊藤理佐 文/FRaUweb

母の日や父の日、「親に会いたい」と思いますか?

毎年5月第2日曜日は母の日、6月第3日曜日は父の日である。
もちろん感謝を伝えるというのはとても素敵なことだ。コロナ禍では一緒に食事をすることはなかなかできないが、一緒に食事をしてきた方々もいるだろう。
ただ、誰もが親と温かい時間を過ごしたいと思うかというと、それは違うのではないだろうか。

お父さんのこと、お母さんのこと、大好き!友達みたい!尊敬できる!そういう関係が築けている方々は本当に素晴らしいことだ。しかし「嫌いじゃないけどめんどくさい」なんて人も多いのではないだろうか。

さらにいえば、悲しいながら実際毒親といえる親に苦しめられている人も少なくない。ちなみに、「毒親」という言葉は、1989年にスーザン・フォワードが『TOXIC PARENTS』という著作を出して一気に世界的に広まった。TOXICを辞書で引くと「毒性」という名詞で、そのまま訳された『毒になる親 一生苦しむ子供』は日本でもベストセラーになっている。ようやくその頃から「親であっても子どもに対してひどい人はいるのだ。子どもが我慢しなければならないものではないのだ」ということが、一般的に認識されるようになったともいえる。

毒親については、そのことだけでとても繊細で、文字数を割いて考える必要のある問題なので、今回はそのような深刻な状況ではなく、親と子の「嫌いじゃないけどうざい」関係に絞って考えてみよう。

そもそも、年を重ねて出会いが多くなればより一層、親くらい年の離れた友人がいることだってあるのに、親だとがぜんうざくなるのはなぜだろうか。それは自分のことを生まれた時から知っている「親」という存在へのフィルターも関係しないだろうか。
親も「別の人間」なんだということを感じさせてくれるのが、伊藤理佐さんのマンガ『おいピータン!!』7巻の「フツー」である。

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「親」である前に「普通の人間」

主人公はアラサーで独身の女性。あるとき地元に暮らす母親から突然連絡が来て、この週末家に泊めてほしいという。妹は結婚していて、新居に越したばかり。しかも自分はあいにくその週末「誰か」と予定があるわけではなく、週末の時間でやろうと思っていた仕事と、日曜日に見ようと思っていたDVDがあるだけだった。

(c)伊藤理佐/講談社『おいピータン!!』7巻より


母親のことは嫌いじゃないし、めんどくさいと思うこともちょっと後ろめたい。仕方ない、美味しいものを食べてさっさと帰ってもらおう。寿司かな、うなぎかな……えっ、もう食べた? それなら釜めしかな……そんな風に思っていた主人公だが、あいにく釜めし屋が閉まっていたことで、母親の全く別の顔に気づくのだ。

この「おいピータン!!」シリーズは、現在は『おいおいピータン!!』と名前を変えて「Kiss」で20年以上連載されているオムニバスショートコメディで、講談社漫画賞少女マンガ部門や手塚治虫文化賞短編賞などを受賞している。「食べる」ことを中心に、人生様々な「あるある」を描き出し、笑いながらちょっと胸がチクッとしたり、目から鱗の気づきを得たりすることができるのだ。

そういえば、現在のクールで放送中の金曜ドラマ『リコカツ』(TBS)でも「親」は、大きなキーワードとなっている。このドラマは「離婚活動」を描いたドラマで、主人公の編集者・水口咲(北川景子)と自衛官の・緒原紘一(永山瑛太)が交際0日婚をした結果、即座に離婚しようという話になるところから物語が始まる。しかしドラマが進むにつれ、並行して咲と紘一の両親も離婚危機にあることがわかってくる。3話では突然離婚届を置いて家を出ていった紘一の母・薫(宮崎美子)が箱根の温泉宿で働いていることを知る。そのときに咲は写真を見て言うのだ。「お義母さん、すごく生き生きしてる――」。そこにあるのは誰かの妻とか、誰かの母とかではない、「薫さん」という「ひとりの女性」の姿だったのだ。

そうか、親も普通の人なんだよな。「親」という姿が嫌なのだとかではなくて、それ以前の「人」として存在しているんだ。「人」として存在してからそこに「親」とか「配偶者」とか、そんな役割が加わっているだけなんだ――そこに思いを馳せると、母の日や父の日の捉え方も、また少し変わってくるのかもしれない。