廃校がマンガミュージアムに
生まれ変わったワケ

少子化の波を受けて龍池小が廃校になったのが1995年。跡地利用をどうするか。地元龍池学区自治連合会は「龍池21プラン委員会」というプロジェクトを発足させ、住民で話し合った。21は21世紀、未来を意識して名付けられた。龍池学区は小学校を核にして地域社会が成り立っている。跡地にできる建物は住民のコミュニケーションの場でなければならない。最も重要なのは校庭だ。地域の運動会で使えることがマストである。当初、市は中央図書館を提案した。だが、それには建物の容積が足りず、校庭をつぶさねばならない。だから地元はNOと言った。

メインギャラリー。写真提供/京都国際マンガミュージアム

その後、市はマンガミュージアムを提案した。背景には、京都精華大学のマンガ図書館構想があった。すでにマンガを20万冊集めていた大学は、世界中から研究者を呼んで「京都にマンガの聖地を作りたい」と考えていたのだ。後に東村アキコも客員教授として教鞭をとった京都精華大が、最初にマンガ研究に注目したのは約半世紀も前のこと。美術科にマンガクラスを設置。やがてマンガ学部へと昇格させている。そうした進化の過程で、図書館構想が生まれ、「京都国際マンガミュージアム」へと発展した。

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もちろん、「龍池学区」の人々がすぐにマンガを受け入れたわけではない。しかし、考えてみれば、京都には高山寺所蔵の「鳥獣人物戯画」がある。知恩院ではすでに布教にマンガを使っている。講演に訪れた当時文化庁長官の河合隼雄は、関西から文化を発信し日本を元気にしようと呼びかけたのも刺激となった。時間が経つにつれ、地元の人々はマンガを受け入れるに至った。マンガミュージアムのブレーンである「京都精華大学国際マンガ研究センター」への文科省からの補助金も投じられた。

今日までに入場者数延べ369万人。年間平均28万人が訪れる。時代が大学の先見の明に追いついてきたといっていい。うち3割ちかくは海外からの客だ。京都市が土地を貸し、運営は精華大が担う。館内の一部やグラウンドは地元の自治連合会も利用する。3者ウィンウィンウィンの関係が出来上がったのである。