当然、この話は西武にも伝わる。工藤の初戦先発はない、と考えるのが普通だ。先発が高橋一三ならサウスポー用のオーダーを組む必要がある。ところが、である。メンバー表を交換すると、なんと投手の欄には「工藤幹夫」と記されていた。
西武を率いる広岡達朗監督が激怒したのは言うまでもない。「僕はこういうやり方が一番嫌いなんだよね」。ルール違反ではないがスポーツマンシップに反していることは明らかだ。
果たして工藤は好投した。得意のシュートが冴え渡り、7回途中まで被安打3の無失点。かくして、大沢親分のはかりごとは成功するかに見えた。だがリリーフが崩れ、日本ハムは初戦を0対6で落とす。
工藤本人が、事の真相を語った
この“騙し討ち事件”の真相が知りたくて、工藤が経営する秋田市内のスポーツ用品店を訪ねたのは2013年3月のことである。初対面ではあったが、取材の主旨を説明すると、丁寧に応じてくれた。秋田の3月は寒い。まだ店内にはストーブが置かれていた。
冒頭、奇襲登板が“騙し討ち”や“演技”と呼ばれることは本意ではない、と本人は語った。
「小指の根っこの部分を骨折してから丸3週間ボールを握れなかった。キャッチボールができるようになったのは試合の1週間前ですよ」
当然、医師からはドクターストップがかかっていた。「骨が完全にくっついていない状態で投げたら選手生命に影響する、と言われましたよ」。とはいえ監督命令に背くことはできない。
「マウンドに上がる時には“こんなオレを使う監督が悪い”と開き直っていました。逆に、それがよかったのかな……」
工藤は3戦目にも先発し、完投勝利を収めている。プレーオフは1勝3敗で西武の軍門に下ったが、工藤には敢闘賞が贈られた。
だが、この敢闘賞の代償は高くついた。プレーオフでの無理な登板がたたって小指は変形し、2度と元には戻らなかった。実働5年間で30勝22敗、防御率3.74――。「プロ野球には何の未練もありませんよ」。疾風のように駆け抜けた野球人生だった。2016年5月、工藤は肝不全のため55歳で世を去った。