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日ハム・大沢親分「無茶な起用」の影響で、短命に終わった投手がいた…

プロ野球・裏面史探偵(5)

パ・リーグ「王者決定戦」での“騙し討ち”

パ・リーグが前後期の2シーズン制に移行したのは1973年からだ。前期優勝チームと後期優勝チームが5回戦制のプレーオフを実施し、リーグチャンピオンを決定した。この制度は1982年まで10シーズン続いた。

数々のドラマを残した2シーズン制において、まるでスパイ映画さながらの“騙し討ち事件”が起きたのは1982年のプレーオフである。

2シーズン制最後のプレーオフは前期優勝の西武ライオンズと後期優勝の日本ハムファイターズとの間で行われた。先に3勝しなければならない短期決戦では、とりわけ初戦の先発投手が重要な意味を持つ。実際、8回(1976年と1978年は阪急が前後期優勝のためなし)行われたプレーオフのうち、初戦をとっているチームが7回、リーグチャンピオンに輝いている。

このシーズンの日本ハムの勝ち頭は高卒4年目ながら20勝(4敗)をあげた工藤幹夫。最多勝、最高勝率、ベストナインなど数多くのタイトルに輝いた。右サイドハンドから投げ込む切れのいいシュートを最大の武器にしていた。

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しかし、プレーオフ1カ月前、工藤は自宅ドアに右手小指をはさみ骨折してしまう。その時の写真が手元にある。腕にはギプス、手には真っ白い包帯。小指の骨折にしては少々、大げさな印象を受ける。実はこれ、“親分”の愛称で親しまれた大沢啓二監督が仕組んだはかりごとだったのだ。

このシーズン、工藤は西武に6勝1敗と大きく勝ち越し、“西武キラー”の異名をとっていた。その工藤がプレーオフに間に合わないとなると、日本ハムの不利は否めない。大沢は担当記者を集め、沈痛な面持ちで、こう言った。

「工藤は間に合いそうもないな。経験から言ってベテランの高橋一三しかいないだろう」

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