制御不能になった原子炉との格闘…福島第一原発事故の現場で書かれた「遺書」

「2号機の危機」 第3回

3つの原子炉が相次いでメルトダウンし、原子炉や格納容器を納める原子炉建屋が次々に爆発するという未曾有の原発事故を描いた『福島第一原発事故の「真実」』(小社刊)が大反響を呼んでいる。

NHKメルトダウン取材班は、10年に及ぶ徹底的な調査報道を通じて、東日本壊滅の危機を免れたのは、吉田昌郎・福島第一原発所長らによる決死の消防注水が功を奏したというよりは、消防注水の失敗や格納容器のつなぎ目の隙間から圧が抜けたりといった幾つかの偶然が重なった公算が強いことを明らかにした

現代ビジネス、ブルーバックスWebでは、吉田所長が死を覚悟したとされる「2号機の危機」を描いた、同書の6章を全4回の連載で完全公開する。事故発生当時に考えられた事故像を覆す衝撃的な内容は、読むものを震撼せしめるはずだ。

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喫煙室の吉田

重苦しい空気に包まれた免震棟の円卓を、警備会社幹部の土屋は、呆然と見つめていた。もはやそこには、見慣れた統制のとれた原発の姿は微塵もなかった。

14日午前11時1分に3号機が爆発して以降、土屋のメモには、それまでの3号機から一転して2号機の記述が目立つようになった。

「13:05 2Uへ対策開始」

「14:15 2Uのリミット近く 総動員で現状把握」

「16:00 情報のサクソウ リミット 後1H」

午後4時ごろには、円卓周辺から、2号機の燃料の先端に到達するのは、あと1時間というコールが聞こえた。それまでには、なんとか注水をしなければならないはずだ。

しかし、土屋にも、2号機の減圧がまったく進まず、水を入れられない状態に陥っていることがわかった。円卓中央に座る所長の吉田が幹部らに指示を出していたが、その顔は疲労が色濃くなっていた。

以前は担当者に「あれはどうなっているんだ?」と尋ねた際、担当者が一瞬答えられなくなり、吉田は、こらえきれなくなったように「そんなことぐらい把握して説明しろよ!」と怒鳴っていた。しかし、この頃になると、吉田が大声を出して怒鳴る場面は、3号機が危機を迎えた13日にくらべ、めっきりと少なくなっていた。むしろ、疲労が隠せない様子だった。

事故発生以来、ほぼ不眠不休で陣頭指揮にあたってきた吉田昌郎・福島第一原発所長だが、2号機が危機的な状況になった14日午後以降は、精神的・肉体的な極限状態にあることをうかがわせる場面もあった(©NHK)

吉田はヘビースモーカーで、事故対応に追われながらも煙草を吸っていた。免震棟2階の緊急時対策室から階段を降りたところにある1階の喫煙室に煙草を吸いに行く姿を、土屋はしばしば目撃していた。吉田は一度に4〜5本を連続して吸うときも少なくなかった。

土屋には、その数分の喫煙の時間こそ、吉田が自らを落ち着かせ、次から次へと襲いかかる危機に対応するために考えをまとめる貴重な時間のように思えてならなかった。

2号機が膠着状態に陥って1時間近くが経った午後5時30分ごろ、土屋は、吉田が円卓から喫煙室に向かったことに気がついた。

「せめて煙草を吸って気をやすめ、また元気に指揮をとってほしい」土屋はそう思った。

ところが、このとき、吉田は煙草を吸い終わった後、円卓に戻らずに、2階廊下の脇にある小部屋に入ったまま出てこなくなってしまった。

心配した土屋がのぞくと、吉田が部屋に長身をごろんと転がすように横にして目をつむっていた。疲れ果てた表情だった。その表情は6000人あまりが働く福島第一原発を率いるトップの苦渋と、3日3晩ほとんど眠らずに走り続けてきた56歳の中年男性の極限の疲労をないまぜにしたように見えた。このまま起き上がれないのではないか。土屋ははらはらしながら吉田の顔を見つめていた。

災害でも短期的な緊急対応は、最長でも72時間が限度と言われている。72時間を超えたら、リーダーをはじめとして交代を含めた態勢の見直しを考えなければ、持続可能な危機対応ができないとされている。このときは、地震発生からデッドラインの72時間をすでにこえ、74時間あまりが過ぎていた。しかし、吉田は、現場のほぼすべてを把握して即断即決できるリーダーだった。吉田の代わりはいなかった。

10分ほど経っただろうか。吉田は、目を開けて身体を起こした。そしてゆっくりと長身を揺らしながら、再び円卓へと歩き始めた。

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