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いじめを無かったと思いたい小学校、虐待は嘘だと言えてしまう人生相談回答者

なぜ私たちは「否認」してしまうのか

旭川で14歳の少女が死んだ。自殺をほのめかす文章を遺し、凍死体で見つかった。報道媒体が明らかにしたところによると、14歳の少女は、同級生から自慰行為を強制され、わいせつ画像を拡散されていたという。

いじめ(というより、犯罪だが)の内容も悲惨だが、私が驚かされたのは学校側の対応だ。弁護士の同席を求めた親の要望をしりぞけた上で、教頭から「わいせつ画像の拡散は、校内で起きたことではないので学校としては責任は負えない」などと告げられたという。

結局、この事件が明るみに出たのは文春オンラインの報道がきっかけだった。市教委が旭川の事件をいじめ防止対策推進法の「重大事態」に認定したのは、文春の報道を見た読者の苦情が殺到してからである。

果たしてこの教頭は鬼畜だったのだろうか?

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被害をなかったことにしたい「否認」の心理

私たちには「悲惨な現実は、見なかったことにしたい」という願望がある。虐待、DV、いじめといった悲惨な情報を見ると、そんなひどいことは起きていないはずだ、だからきっと些細なことなんだ。そう思いたい欲望がある。

防衛機制」という用語がある。人はショッキングなもの、向き合えない現実から身を守るために、さまざまな方法を持つ。なかでも最も原始的なものに「否認」がある。簡単に言うと「○○なんて存在しなかったんだ」と、ストレス源そのものを、否定してしまうものだ。

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