知識人「言論男社会」の深すぎる闇…「呉座勇一事件」の背景にあったもの

後藤 和智 プロフィール

茶化す、騒ぎ立てる、なりすます

差別に反対する主張、特にフェミニズム的な主張は頻繁に揶揄の対象にもなります。

例えば、ルポライターの安田峰俊は、信楽焼の狸の置物の写真を貼って《環境型セクハラの極み。性的部位を異常に強調した巨玉フィギュアを公共の場に大量展示する変態志向に驚愕。フィギュアはいずれも知性の欠片も感じられない表情で、全裸に笠のみを身につけアルコールを持つ倒錯した異常フェティシズム。この危険な街はゲートで囲って隔離すべきだ。表現規制しかない》と述べていますが、これについても安田は本気で男性器を強調するような表現に反対しているのではなく女性をカリカチュアライズした表現に対する批判を揶揄しているだけでしょう。

第一に焼き物を《フィギュア》と表現していること、このツイートのあとに自著を「バズったから宣伝」していること、そして自らへの批判に対して《バズりに付き物のクソリプやマジリプがよく届く(500RT超えるとよくある)が、本気で怒っちゃう人のプロフ見ると意外と女子大生多い/フェミニズム自体は思想として重要で、学ぶ意味も穏健に社会実装する必要もあると思うが、若いうちから攻撃的なツイフェミ族になるのは人生の幸福に差し支えないか…》と述べている(ちなみに私は当時34歳男性であるが安田の最初のツイートを批判しました)こと、さらにこのツイートの中で批判ツイートに対して《意外と女子大生多い》とジャッジしていること、そして《攻撃的なツイフェミ族》などという、フェミニズムを揶揄・嘲笑する表現である「ツイフェミ」という表現を用いていることが挙げられます。

 

このような揶揄や嘲笑ばかりでなく、性差別の存在の指摘にすら過剰に反応する論客もいます。例えば文芸評論家の千野帽子は、上野千鶴子が2019年度の東京大学の入学式において述べたスピーチ(「平成31年度東京大学学部入学式 祝辞」)に対して、《東大入学式出の上野千鶴子さんの祝辞は、男子学生には男であることの罪悪感を、男子女子問わず専業主婦の母を持つ学生にはそういう家庭であることへの恥を植えつける、大規模な洗脳的ハラスメントだった。人を気まずくさせることが人を目覚めさせることだ、という誤解は男子中学生的で気恥ずかしい。》と述べています。

しかし、このスピーチで上野が述べていたことは、各大学の医学部の入試における女性差別をはじめとする男女間の不公平、そして東京大学が女性である自分や、他にも在日コリアンや高卒者、障碍者も教授に登用してきたことに触れ多様性に開かれていること、そして周囲の環境に感謝し、《あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください》と呼びかけることです。

確かに男性と女性の差別に関して触れることは、(特に東京大学に入るような)男子学生に対してはとても頭の痛いことかもしれませんが、《男であることの罪悪感》を植え付けるというのは言い過ぎであり、《男子女子問わず専業主婦の母を持つ学生にはそういう家庭であることへの恥を植えつける》というくだりは該当する箇所すらありません。

場合によっては法規制を求めることもあります。漫画家の山本貴嗣は、《「傷ついた私」は無限に何かを要求できる打ち出の小づちで水戸黄門の印籠だと思ってる「お気持ち真理教」はやく絶滅してほしい。もっともナントカ過激派といっしょで特定の指導者が滅びても似たような他人が引きついで存続するからたぶん滅びない。なんらかの法規制が望まれる。》と述べており、主としてフェミニズムなどの主張は《「傷ついた私」は無限に何かを要求できる打ち出の小づちで水戸黄門の印籠だと思ってる「お気持ち真理教」》(これは、冒頭に挙げた「女性差別的な文化を脱するために」で示されている《性差別的な表現に対する女性たちからの批判を「お気持ち」と揶揄する》というものです)と決めつけて、なんと《なんらかの法規制が望まれる》と述べており、真正面からの表現規制、言論統制を肯定しています。

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