知識人「言論男社会」の深すぎる闇…「呉座勇一事件」の背景にあったもの

後藤 和智 プロフィール

決めつける、歪曲する

このような状況下で行われるのが、自らが思い思いに「リベラル」像をこしらえて叩くというものです。

例えば、COVID-19禍が欧州で広がり、それに対してアジア人差別が激化していた時期においても、「オタク議員」として有名な大田区議の荻野稔は次のように述べています。

人は命の危険や死の恐怖を前にすると、化けの皮が剥がれてしまいますね。
欧米の方々が築き上げてきた人権意識、ポリティカルコネクトレスが行き着く先は今、コロナウイルス騒動で起きているアジア人に対する仕打ちだったのか。
私は悲しい。ポロロン。
https://twitter.com/ogino_otaku/status/1232582050651095040

差別に心を痛め、差別の被害を受けている人に連帯し、差別行為を批判する前に、「ポリティカルコレクトネス」を揶揄し嘲笑することのほうに重きが置かれているように見えます。

しかし、「ポリティカルコレクトネス」(直訳すると「政治的正しさ」だが、実際には「社会的な望ましさ」と表現した方がいい。詳しくはハン・トンヒョン「ポリティカル・コレクトネス:社会的属性の描き方における『社会的な望ましさ』」(『月刊シナリオ』2021年5月号、pp.8-10)参照)は、荻野のような「オタク表現の自由」を唱える人間にとっては「自分たちの消費する表現に対する難癖」程度にしか捉えられていないことに関してはまだ許容するにしても、「ポリティカルコレクトネス」こそがアジア人差別になっているというのは言いがかりでしかないのでしょうか。

そもそも我が国は、欧米諸国においては法律や社会的規範で反差別を整備していったのに対して我が国は差別行為を禁止する法的・社会的枠組みが皆無に等しいです(詳しくは、梁英聖『レイシズムとは何か』(ちくま新書、2020年)を参照)。それにアジア人差別に対する抗議や連帯はありましたし、わが国においても初期のCOVID-19禍において中国人や横浜の中華街に対する差別は行われてきました。

また、「デイリー新潮」経由でYahoo!ニュースに掲載され、社会科学者を中心に多くの批判が起ったコラムですが、古市憲寿が『週刊新潮』2020年4月19日号に寄稿した連載コラム「誰の味方でもありません」の連載第147回も採り上げてみます。「「国家」を信頼していた人たち」と題されたこのコラムにおいて、古市は「緊急事態宣言」の発令を求めていた左派を次のように揶揄しています。

しかし不思議なのは一部の「リベラル」や「左翼」だと思われていた人までが声高に「早く緊急事態宣言を出せ」とか「欧米のようにロックダウンをしろ」と主張していたことである。
(略)
筋金入りの国家主義者がこうした統制を歓迎するのは理解可能だ。しかし「安倍総理はヒトラーだ」などと主張し、国家主義を警戒していた人までが「緊急事態宣言」や「ロックダウン」を待望するのはなぜなのか。
もしかしたら、彼らこそ「国家」を信頼していたのかも知れない。過剰に安倍政権を警戒していた人には、「悪い奴ら=実は賢いやつら=何でもできるやつら」という思い込みがあったのではないか。いざとなれば、安倍政権はすぐに戦争を起こしたり、徴兵を開始したり、国民を管理下に置くことができるとでも思っていたのではないか。
その陰謀論を反転させれば、今のコロナを巡る状況も、「国家さえ動けば全て解決する」という楽観論になり得る。だから「国家よ、さっさと何とかしろ」となるわけだ。口先ではいいことを言うものの、結局は先生頼みの「学級委員」にどこか似ている。
(『週刊新潮』2020年4月19日号p.101)
 

しかしこの論考においては、第一に当時の国民民主党や立憲民主党、そして共産党などが求めていたのは「保証付きの緊急事態宣言/ロックダウン」であるということで、私権を制限するなら国家としての補償も両輪でなければならないということではなかったのでしょうか。

第二に、確かに《過剰に安倍政権を警戒していた人には、「悪い奴ら=実は賢いやつら=何でもできるやつら」という思い込みがあったのではないか》以降については一方的な決めつけです。

安倍政権に対して左派が行っていたのは、公文書の隠蔽などといった国家の運営に関することで、その点では《彼らこそ「国家」を信頼していたのかも知れない》というのは正しいかもしれないですが、それでも《「悪い奴ら=実は賢いやつら=何でもできるやつら」》と考えていると決めつけるのは追求の内容を考慮しないものです。

ちなみに《口先ではいいことを言うものの、結局は先生頼みの「学級委員」》といった、「学級委員」というのは左派嘲笑でもよく使われるワードです。

また冒頭で紹介した亀田俊和は、網野善彦に「レフティ」「日本が嫌いそう」という評価を下したツイートについては削除し、批判した人に対して自分が間違っていたと「謝罪」していたのですが、後に《ぶっちゃけ、レフテげふげふごほんごほんの方々がネトウヨwをつぶした結果、そうしたもっと極右の方々が漁夫の利を得る形になっているわけですが、それについてレフテげふげふごほんごほんの方々がどう思われているのか伺ってみたいというのはあります。》などと、《レフテげふげふごほんごほん》などといっているように「反省」しているそぶりはなく、むしろ、北村紗衣を初めとするフェミニストや彼が「レフティ」と呼ぶ人たち(恐らく私も含むのでしょう)に批判されたことでむしろ「箔がついた」と思っているかのようでした。

このような「ジャッジ」が行われるのは概ね左派に対してです。左派的なものに対してこのように揶揄や嘲笑を繰り返すという行為は、自らがその問題にコミットせずに、自分は「あいつら」より賢いんだ、視野が広いんだという自意識を手軽に満たせる行為以上のものではありません。

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