知識人「言論男社会」の深すぎる闇…「呉座勇一事件」の背景にあったもの

後藤 和智 プロフィール

だから、この呉座の事件を受けて、北村ほか数名によって発表された声明文「女性差別的な文化を脱するために:研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人へ」は、とても画期的なものでした。呉座から北村に対するハラスメントを生み出した「構造」について、極めて体系的にまとまった形で書かれていたからです。

ここで指摘されているのは、呉座から北村などに対するハラスメントが「会話」や「掛け合い」といった「遊び」の中で強化されていったこと、性差別や性暴力に反対する特に女性の言説に対する戯画化です。

そしてこういった構造は、先の声明文でも指摘されているとおり、女性のみならず、在日コリアンやトランスジェンダーの人びとに対する差別に関しても同様の構造を持っていると言えます。

そして次のように、批判の対象はネット上のコミュニケーションのみならず、学会や言論、メディアの世界にも向けられます。

ネット上のコミュニケーション様式と、アカデミアや言論、メディア業界の双方にある男性中心主義文化が結びつき、それによって差別的言動への抵抗感が麻痺させられる仕組みがあったことが、今回の一件をうんだと私たちは考えています。呉座氏は謝罪し処分を受けることになりましたが、彼と「遊び」彼を「煽っていた」人びとはその責任を問われることなく同様の活動を続け、そこから利益を得ているケースもあります。このような仕組みが残る限り、また同じことが別の誰かによって繰り返されるでしょう。( https://sites.google.com/view/againstm/home
 

私としてはこの声明文に付け足したいものはほとんどないのですが、こういったコミュニケーションを生み出したものとしての、出版業界からネットに至るまでの「リベラル」や社会運動への歪んだ視線と、それが「コード」として蔓延してしまっているという問題をここでは採り上げたいと思います。

ここで採り上げた文章はすべて同一の構造から出てきているものだと私は捉えます。そのため「自分とは関係ない」と突き放す(後述しますが、これもまた言論の「コード」の一つです)前に、このような「言論」こそが我々が生きる社会の残酷な一側面を反映しているものとして考えるべきときが来ているのです。

社会問題より「リベラル」が気になる

私が2020年9月に「現代ビジネス」に寄稿した「安倍長期政権を『担ぎ上げた』のは誰か? 『論壇』から読み解く」でも触れましたが、2000年代から現在にかけて、特に「若手」と呼ばれる知識人や論客の間で流行している言論として「左派」や「リベラル」への「逆張り」があります。同記事からの引用となってしまいますが、いくつかの著者を採り上げて次のように述べました。

例えば、小見出しに「真説」「まじめに考える」が頻繁に使われている(それまでの歴史の見方は「まじめ」「真」ではなかったということでしょうか)、與那覇潤『中国化する日本』(文藝春秋、2011年)の、2014年に刊行された文庫版においては宇野常寛との対談が収録されていますが、與那覇が《朝日新聞的な従来的な政府批判の媒体》(p.357)の見方を問題視し、それを受けて宇野も《とにかくアンチ自民であることを優先するオールド・リベラルの言葉》と表現し、與那覇の著書は《安倍自民党かオールド・リベラルかの二者択一しかない》(p.358)という見方に新しい軸を与えてくれると絶賛しています。
その後には「若手論壇リベラル」という言葉が出てきます。
また、城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』(ちくま新書、2008年)においては、「左派は若者の味方であること」を「昭和的価値観」として斬り捨て、佐々木俊尚『当事者の時代』(光文社新書、2011年)においては旧来の「市民派」マスメディアにおける「マイノリティ憑依」を問題視するなど、古い左派は「若者」ないし「若手論客」的ではないものとして排撃の対象になっていました。
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