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なぜ日本政府と地方首長の新型コロナ対応が「戦時中」と似てくるのか

人命が最重要ではなく、責任も取らない

日本国内での新型コロナウイルスの感染者数が再び増加し、東京でも3度目の緊急事態宣言が発出される見通しとなった4月23日、小池百合子東京都知事は定例記者会見で「午後8時以降には、街灯を除き、看板やネオン、イルミネーションなどの照明を消していただくよう、業界団体などを通じて要請する」と述べました。

その理由について、小池都知事は「夜間の人出を抑制するため」と説明しましたが、この決定に対し、東京新聞は同日午後9時16分に公開したネット記事の見出しで「令和の灯火管制?」と書き、SNS上でも「戦時中と似ている」との指摘が飛び交いました。

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政府や首長が発出した、特定業種の営業などに対する「自粛要請」に従わない者を、周囲の市民が監視して批判する光景も、戦時中の隣組(近所の約10軒を一単位として、戦争への協力を行う組織で、政府の指示にきちんと従っているかという住民の相互監視も行った)や国防婦人会(戦争協力を行う婦人組織)などによる「非国民狩り」とそっくりではないかとの意見が数多く提示され、「自粛警察」という新たな言葉まで誕生しました。

昨年初頭に新型コロナ感染の拡大が始まって以来、日本政府と地方首長(小池都知事、吉村洋文大阪府知事など)は、さまざまな感染防止策を打ち出してきましたが、その中には、戦時中の出来事との類似性を感じさせるものが少なからず存在しました。

戦争も感染症も、ふだんの状況(平時)とは異なる「非常事態」という点で共通しているので、必然的に似てくる部分も生じます。それゆえ、単純に表面の現象にだけ着目して「戦時中と似ている」と指摘することには、あまり意味があるとは言えません。

けれども、そうした「表面的な類似」を生む背景として、戦時中と現在の日本社会に、構造的な共通点が存在するのであれば、かつてと同じような「人的被害と犠牲の増大」を避けるために、その「深層」に目を向ける必要があります。

そして、過去の歴史を振り返ると、戦時中と現在の日本社会には、政府や地方首長などの「指導部」と国民の関係性において、重要な共通点が存在するように思われます。

それは何かと言えば、第一に「人の命と健康を優先順位の第一位に置いていないこと」、第二に「状況悪化の責任を一人ひとりの国民に押し付ける指導部の無責任さ」です。

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