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「夫婦別姓」は“日本の伝統を破壊する”と怒る人たち、その致命的な「勘違い」

じつはそんなに歴史があるものじゃない
橋爪 大三郎 プロフィール

明治の日本は一時期、夫婦別姓だった

さて、明治の日本は一時期、夫婦別姓だった! 尾脇秀和さんの新著『氏名の誕生−−江戸時代の名前はなぜ消えたのか』(ちくま新書、2021年4月)にはこうある。

《明治八年五月九日、政府は石川県からの伺いに対して「婦女、人に嫁するも仍ほ所生の氏を用ふべきこと」と指令し、女性は結婚後も実家の苗字を使用する、つまり夫婦別姓を基本方針とした」》(297f頁)。

実際には夫婦同姓が多かったようだが、政府の方針は別姓。夫婦同姓が法律で決まるのは、《明治三一年の民法によって》なのだった。

 

尾脇さんは、江戸時代から明治初期にかけての日本人の名前の変遷を詳しく調べあげ、本にまとめた。まさに決定版だ。

江戸時代の名前は、とても複雑だ。現代人の考える「氏」や「名」は、ないと思ったほうがいい。

たとえば、武士の名前は、こんなふうである。

大隈 八太郎 菅原 朝臣 重信

大隈は苗字。八太郎は通称(上流の武士は、越前守など官位をもらって通称にする)。菅原は姓。朝臣は尸(カバネ…一族全体の名誉称号)。重信は名乗(実名)。ほかに幼名や号や隠居名もあった。

名乗は「名」のようにみえるが、江戸時代は書類に書くだけで、ふだんは大隈八太郎とか大岡越前守の名前でよばれた。明治になり、名乗が本人の「名」に変わっていった。

朝廷の名前は、武士の名前に輪をかけてややこしい。めんどうなので省略する。

庶民は、庄屋清兵衛、大工次郎作、山崎屋忠兵衛など、無難な名を名乗った。同族に古い苗字が伝わっている場合もあった。

明治8年に布告が出た。

《自今必苗字相唱申可、尤祖先以来苗字不分明ノ向ハ、新タニ苗字ヲ設ケ候様可致》(尾脇 267頁)

とにかく全員、苗字を決めなさい、である。大あわてになった。長屋では誰も苗字がわからないため、くじ引きで赤穂浪士の姓を割り当てて届け出る例もあったという。

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