アメリカで“警官の黒人殺害”がこれからも続くと言える「構造的理由」

警察改革は失敗の道を進もうとしている
畠山 勝太 プロフィール

人権研修か、警官養成か

教職研修も、教員養成も、英語では「training」と表現され、前者は「in-service training」、後者は「pre-service training」である。そして、研修と養成ではどちらが重要かと言われると養成の方だ。

私もこれまで職場で受けてきた研修の中でどれだけを真面目に受けたかと問われると、流石に中日ドラゴンズのチーム打率よりは高いが、全てを真面目に受けたわけではない。そして、それはおそらく大半の勤め人に当てはまるのではないだろうか。

しかし、これだけでは研修の効果が薄いことは言えても、養成は研修よりも大事であるとは言えない。なぜなら、養成課程の授業もどれだけ真面目に受けているかを考えれば、少なくとも私に限って言えば、研修と同程度にはさぼっていたからだ。

 

この、研修よりも養成の方が重要だということを非常に分かりやすく解き明かしたインドの論文がある。これによると、研修が効きづらい理由として、

(1)教員は自分が生徒の時に受けてきた教育経験から、こうあるべきという教育像を持っている
(2)養成段階で受けてきたこうあるべきという教育像を持っている
(3)日々教室で実践してきたことから、こうあるべきという教育像を持っている

という、養成前・養成中・養成後の三段階に渡ってすでに作り上げられた教育像を持っており、これから大きく外れたものを今さら受け入れられないということが挙げられる。

つまり、既に教員自身が持っている教育像に寄り添った形の研修、ないしはそれとは関係のない小手先レベルのものに関する研修であれば、ある程度の効果は見込めるものの、何かを大きく変えようとすれば研修ではなく養成段階でそれに対処しなければならないことが分かる。

警官に対する人権研修もほぼ間違いなくこの議論と同じライン上に存在している。拙稿「日本人が大好きな『ハーバード式・シリコンバレー式教育』の歪みと闇」で解説したように、アメリカでは学校内における人種の多様性が失われてきている。

白人の子供は白人の子弟のみが在籍する学校で学び、黒人の子供は黒人(+ヒスパニック)の子弟のみが在籍する学校で学んでいるのがアメリカ国の実情である。大学段階になり、初めて白人・黒人が相対することになり、全くもって不十分としか言えないが、異なる人種の人たちとやっていくことを学んでいく。

しかし、劣悪な待遇により十分な教育を受けた人材を集められない警察セクターは、その全くもって不十分としか言えない準備教育すら受けていない人材が大半を占める。そして、さらにその上にこれまでの日々の実践や長年積み上げられた組織としての慣習が存在しているわけである。

時間とお金をかけて養成段階からしっかり取り組むのではなく、安く早くできる研修で警察内の人種問題に取り組むことなどまず何も変えられないことは容易に想像がつく。

もちろん、国際協力でも、何かをやったというパフォーマンスのために途上国で数多くの無駄な研修が実施されているので、心情としてはこうなってしまうのも理解はできる。

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