「どこにも居場所がなくなる」感覚

数年前に、そんなことがあったとは全く気が付かなかった。今更ながら、自分の感度の低さに情けなくなりつつも、気を取り直して聞いてみる。

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私が子どものころも、やっぱりいじめはあったけど、上履きを隠されるとか、無視されるとか、陰口とか暴力とか、そういうのは全部リアルの世界の出来事だった。ネットがない時代に育った私は、ネット上に悪口や噂を書かれたり、見られたくない写真を『拡散』されたときのつらい感覚が実際にはわかっていないのかもしれない。それは現実のいじめ行為以上につらいのだろうか?

「直接やられるのだって、もちろん嫌だしキツいと思うけど、うーん、なんていうの、範囲が限定的じゃん。いじめるヤツらと顔を合わせなければ被害は受けないっていうか。だけど、ネットで拡散されると悪口や写真そのものだけじゃなく、自分がいじめられてるっていう事実を、大げさに言うと全世界に知られちゃうところがキツい

仲間内やクラスとかだけじゃなく、話したこともこともないほかの学年の人やよその中学に行った友達にもバレてるんじゃないか。ひょっとして通りすがりにちらっと目があった赤の他人のオバさんも知ってるんじゃないかって思うと、どこにも居場所がなくなっちゃうっていうか、世界が終わった感じになる。旭川の女の子の被害後の絵に目がいっぱい書かれていたのって、そんな気持ちの表れかもな……って思う。他人だけじゃなく、親に自分がいじめられてるのが知られちゃうのも、最悪だし。

事件の女の子は、性被害にも遭ってるわけだし、その相手にヤバい写真を拡散されたんだから、俺の経験とは比較にならないよね……」(息子)

たしかに子どものころ、いじめまでいかなくても、友達と喧嘩して孤立したり、仲間に無視されたとき、それ自体もつらかったが、その事実をいじめグループ以外の人や、まして先生や親に知られたら最悪だと私も思っていたのを改めて思い出す。

心配させたくないから? よけいな介入をされたら状況がますます悪くなるから? それもあるだろうが、当事者以外に「いじめられてる子」認定をされること自体がものすごくみじめで、自尊心を傷つけられることだからだった気がする。自分を愛して守ってくれる存在の親でさえ、昨日までとは自分を見る目が変わるような感じ。もう「普通」ではいられない。「かわいそうな子」と思われるのがつらいのだ。

いじめられて追い詰められたとき、親には自分の味方でいてほしい、助けてほしいと願いつつも、それと同時に親にだけはいじめられている事実を知られたくないという矛盾した思いは、昔、子どもだった私たちも今の子どもたちにも共通するもののようだ。いじめに親が気づきにくい原因は、子どもが抱えるこんな微妙な心理にもあるように感じる。

ネットで拡散されたら、学校に行きたくないどころではなく、家から出るのも怖くなるだろうし、どこにも逃げ場がないように感じられるのもよく理解できた。

本来は「助けて!」の声をあげてほしいが、自尊心がいじめを見えにくくしてしまう。ネット中心になりよりその姿は見えにくい。photo/Getty Images

ちなみに、息子は流ちょうにこうした体験や思いを語ったわけではない。この記事でのやりとりは話を切り出してから数日間かけて、家にいる間にぶつ切りで話したことをまとめている。ただ息子もこの事件には思うことがたくさんあったらしく『ちょっと昨日寝るときに、考えてみたんだけどさ』などと、いつもよりも自発的に話してくれた。