「助け合いの美しさ」があぶり出す“公助なき社会”という残酷な現実

『サンドラの小さな家』が描く「家」
河野 真太郎 プロフィール

『SWEET SIXTEEN』と悲しき起業家精神

ケン・ローチ監督による、「家」を巡るもう一本の映画といえば『SWEET SIXTEEN』(2002年)だろう。

舞台はスコットランドのグラスゴー近郊。もうすぐ16歳になる少年リアムは、学校にも行かずに悪友のピンボールとつるむ日々。リアムの母は、ドラッグの売人である恋人スタンの身代わりで服役中である。

リアムは、スタンが犬小屋に隠したドラッグを盗み出して売りさばき、それを頭金に湖を望む小さなキャラバン(トレーラーハウス)を買う。もうすぐ出所する母と暮らすために。

リアムのドラッグ商売は、ドラッグ組織の首領であるトニー・ダグラスの目にとまることになるが、トニーはリアムを使えるとみて、麻薬組織に引き込む。リアムは働きが認められ、豪華なアパートメントを与えられる。

リアムは出所した母をそのアパートメントに迎えるが、母は結局スタンの元に去ってしまう。リアムはスタンの家に母を取り戻しに行き、スタンを刺してしまう。その日はリアムの16歳の誕生日だった。

リアムはどこまでも悲しい少年である。彼の悲劇はなんといっても、頼るべきコミュニティを持っていないことだろう。彼は労働者階級の少年であるはずだが、2000年代のグラスゴーにおいて、彼が帰属すべきコミュニティとしての労働者階級というものは消滅してしまって久しかった。

じつのところ、イギリスにおける「コミュニティとしての労働者階級」の崩壊は、『キャシー・カム・ホーム』の時代から進んでいたと見ていいだろう。

1960年代は上記の通り、社会全体と労働者階級が豊かになっていった福祉国家の時代であった。福祉国家の充実は逆説的にも、労働者階級のコミュニティとしての紐帯を不必要なものとしていった。

そして1980年代にマーガレット・サッチャーが登場して新自由主義政策を敷いたとき、競争と格差の社会に放り出された労働者たちは、たよるべきコミュニティとしての階級を失ってしまったことに気づいた。

リアムの物語はその延長線上にある。彼は小さな家が象徴する、もっとも小さなコミュニティ(母との家族)を自分の力で手に入れようともがく。その努力は、機転によって一発逆転を狙うような、ある種の起業家的努力(アントレプレナーシップ)に近づく。

だが、そのような個人的努力も、リアムに最初から欠けているコミュニティの代替となることはない。リアムもまたサンドラになることはできなかった。

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