人間に神は必要か? 近代社会が失った「信仰」を問い直す

神の追放がもたらした現代社会の歪み
佐藤 弘夫 プロフィール

一神教中心の宗教観

わたしたちにとって当たり前のこととなっている日常的なカミたちとの交流ですが、学問的な次元でみたときにこうした現象をどのように評価すべきか、長く議論が続いてきました。このようなタイプの信仰を的確に位置付けるための座標軸を、なかなか見出すことができなかったのです。

欧米の学界の主流をなした近代宗教学の視点からいえば、キリスト教やイスラム教のような明確な教義と神観念をもった創唱宗教こそが宗教の典型であり、もっとも進んだ形でした。何を祀っているかもわからない小祠に祈りを捧げたり、死者と対話したりするようなタイプの信仰は、進化から取り残された形態とみなされてきたのです。日本人を「無宗教」と規定する主張も、一神教中心主義の立場から生まれたものにほかなりません。

一神教は宗教の典型か?(photo by iStovk)

こうした見方からすると、明確な神のイメージをもたない「神道」をはじめとする日本の宗教は、きわめて低い評価しか受けられないことになってしまいます。日本人の信仰をその陥穽から救い出す手段はないものだろうか――そうした問題意識のなかで浮上してくるキーワードが「アニミズム」です。

この世のあらゆる存在に精霊の姿をみるアニミズムは、人間と自然との連続性を大切にし、両者の共存を重視する。自然破壊の進むいまこそ、注目すべき思想である。そのアニミズムの潮流が縄文の時代から現代にまで、一貫して日本の精神性の根底に流れているのだ――こうして、アニミズムに立脚する日本の文化が世界に類をみないユニークなものであり、人類の未来を託するに足る思想であることが強調されていくのです。

人はなぜ神を必要とするのか?

いまわたしは、今日宗教を捉える際に用いられる代表的な二つの視座を示しました。一つは一神教を進化の頂点に据えるものであり、もう一つはアニミズムのもつ可能性に賭けようとするものです。どちらの主張もそれなりに筋が通っているようにみえますが、問題は特定の立場を基準にして、既存の宗教に序列をつけようとしていることです。わたしには、そこからなにか新しい展望がみえてくるとは到底思えないのです。

振り返ってみれば、それがどのようなタイプのものであるにせよ、この地球上に神・仏・死者といった超越的存在(カミ)を想定しない民族や人種は、いまだかつてありませんでした。いま求められているのは、世界中に無数に存在する宗教の序列や優劣を判断することではありません。人はなぜカミを必要とするのかというもっとも根源的な問題へと切り込み、その解答をみつけだすことです。それがこの「人間」という不思議な存在を読み解いていく上での、重要な鍵になってくると考えられるからです。

そのとき必要となってくるのは、多様なカミとそれに対する信仰の形態、そしてその変容を、特定の立場からの価値判断を離れて客観的に位置付けるための新しい視点と方法の開拓です。『日本人と神』でわたしが試みたのは、まさしくこの課題への解答でした。

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