紫式部の『源氏物語』は、さまざまな作家が現代語訳に挑戦してきた、古典の名著です。しかし本来、京のことばで書かれたであろうこの大長編は、昭和初期、与謝野晶子と谷崎潤一郎がほぼ同時期に訳して以来、ほとんどすべて標準語で書かれてきました。かの司馬遼太郎が未来に託すほど、『源氏物語』の京のことばでの訳は難しいとされてきました。

今回、ことばに対して真摯に向き合い続ける作家・いしいしんじさんが、「今」の京都に生きる人々のことばでの新訳を試み、このたび『げんじものがたり』として上梓しました。

主人公・光源氏が誕生する「桐壺」帖から、のちに最愛の女性となる紫の上が登場する「若紫」帖を経て、正妻・葵の上のもののけによる死が描かれる「葵」帖(源氏23歳頃)まで、9帖を抄訳しています。原作に忠実に、かつ「今」を映す瑞々しいことばで綴られることで、平安貴族たちが夢中になったありのままの「物語」を堪能することができます。

この『げんじものがたり』について、いしいさんと、俳優・エッセイストの本上まなみさんが、その魅力を語り合いました。

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勉強する『源氏物語』から、
ひたすら面白い『げんじものがたり』に

本上 実のところ、私の『源氏物語』に対する認識は、「国語の教科書で勉強するもの」という程度のイメージでした。世界的にも有名な文学作品である『源氏物語』のストーリーや、平安時代の人々の暮らしぶりなどを、日本に生まれた者として「知っていないとダメ」な学問として捉えていたんです。そんな固定観念に対する拒否反応もあって、これまでちゃんと読んだことがありませんでした。

そんな私が今回、今の言葉で綴られているいしいさんの『げんじものがたり』を読んでみて、「すごい! 面白い!」と思ったんですよね。

『源氏物語』の書かれた当時、平安時代の人たちの暮らしが、鮮やかに浮かび上がってきて。同時に、今、私が京都に住んで見ている風景を、きっと当時の人も見ていたんだろうなと、今との地続きの物語として『源氏物語』を捉えることができたんです。『源氏物語』の世界は遠いものじゃなかったんだ、という嬉しい発見がありました。

『源氏物語』絵巻 Photo by Getty Images

いしい 僕も本上さんも、これまでいろいろなところに住んでいて、今は二人とも京都に住んでいますね。京都だからこその、『源氏物語』の読まれ方ってあると思うんですよね。『源氏物語』にはいろいろな現代語訳がありますが、千年前の京都で書かれたこの物語を、京都の人が、今の自分のことばで訳すということが、これまでなかったんです。

僕はまず、紫式部が『源氏物語』を書いていた場所だと伝わる、京都御所のすぐ東にある廬山寺(ろさんじ)というお寺に行き、お参りをしてから原文を読み始めました。
すると、本上さんがおっしゃったような、学校で教養として触れさせられたものとぜんぜん違うんです。「何が違うんだろう」と何回も何回も繰り返し読んでいると、声が聞こえたんですよ。声といっても、具体的な音声ではなくて、呼吸というか、息づかい。

そこで、僕が聞こえる息づかいのまま、「この現代に紫式部が息をしていて、語っている」ままに、日本語にしよう、と思ったんです。現代語訳とかそういう手続きではなくて、紫式部の声、息づかいに耳を傾けて、それを聞き書きするみたいな、そんな感覚でずっと書いていました。