宗教には、心身をなげうって飛ばねば見えない領域がある

「宗教の本質」とは? 往復書簡 第一信・A
釈 徹宗 プロフィール

“宗教に無関心な人の当事者意識”と“信仰の加害者意識”

宗教領域における「信じる」には、前述のような「単独者の飛躍」といった面があります。しかし、「他者との共振現象」といった面もあります。

宗教の信仰は決して個人の中にとどまりません。信じている状態は、共鳴盤が振動しているみたいなものです。振動しないとそもそもその共鳴盤は無いも同じです。振動して初めて共鳴盤があったことがわかります。そしてその振動は他者の共振現象を起こします。つまり、ある“もの語り”を共有することになるわけです。この「もの語りを共有する喜び」は、おそらく何千年何万年も変わらないものでしょう。人間にとっての根源的な喜びだと思います。そこに人間にとっての宗教の琴線があります。

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そこで重要になってくるのが、宗教に無関心な人の当事者意識と、信仰の加害者意識です。

我々はこの往復書簡で宗教について深く掘り下げていく予定ですが、ぜひ読者のみなさんは自分も宗教の問題の当事者であることを自覚していただきたいと考えています。宗教を「信仰を持つ人だけの問題である」と捉えている限り、この往復書簡のもくろみは成功しません。宗教に無関心な人の当事者意識というのが大切です。例えば、環境問題や原発問題などはどこにも部外者はいません。われわれは電気を使っている以上、誰もが当事者です。LGBTQの問題だって、誰もが当事者ですよね。自分はヘテロセクシャルだから関係ない、なんてことではこの問題は良い方向へと向かいません。それと同じです。

一方、明確な信仰を持っている人も、自覚しなければいけないことがあります。それは自らの信仰は他者を傷つける可能性をもつということです。自分の信仰の加害者性に自覚的になることが大事です。信仰というのは“もの語り”が異なると、どうしても折り合えないところがあります。ですから、ついつい信仰を持っている人は、他の“もの語り”に無自覚になったりするのです。信仰というのは、そもそも他者を傷付ける可能性を持っている、そこに気がつかねば、「信じる」という営みは深まっていきません。

たとえば、日本だと、イスラムの人なんかはマイノリティですごく苦労されていますよね。やはりマイノリティの人権とか信仰が尊重されねばなりません。同様に、イスラム地域に行けば、イスラムの人がマジョリティなので、イスラムの人がマイノリティを傷つける可能性だって出てくるわけです。

信仰は、信じる者と信じない者の二分を避けられないものでしょう。その二つに分かれないような信仰は生きていく力にもならないので、必ずそこにはある種の区別は生まれざるを得ないけれども、いかにここにたくさんの橋を掛けられるか、できるだけ風通しの良いゲートを設定できるか、そこが大事だと思うのです。

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