経済的弱者に襲いかかるもの

私が帰ろうとしたとき、「娘に会ってもらえますか」そう引き留められたのです。
訪問時はお金の要求をされると、恐れていたのでしょう。ホッとしたのか、そう声をかけてくれました。

リビング横の襖を開けたら、そこは4畳半くらいの和室でした。年代物の簞たん笥す二竿さおと、2人分の布団。その隅に小さなご遺骨と、大学卒業の時の写真でしょうか、まだあどけない顔をした女の子の写真が置いてありました。
苦労を感じさせないような笑顔。これから社会に出る、そんな時期。たくさんの夢を抱いていたのでしょうか。コロナで収入が減って、追い詰められたのでしょうか。誰も頼れなくて、夢を持ち切れなかったのでしょうか。それとも社会に出て、現実の生活に追われていたのでしょうか。
「若いんだから何でもできるのに」、そんな言葉が聞こえてきそうですが、そう片づけてしまうのには、あまりに残酷な現実に感じました。

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自殺した彼女のように、平成生まれの今の20代が物心ついたときから、日本経済は低迷している状況でした。格差社会と言われ、バブル世代のように楽しい経験をしていないのです。夢を持てなくなったとしても、誰が彼らを責められるでしょうか。

大人になれば、社会人になれば、そう夢を描きながら学生時代を友達とも遊ばずにアルバイト生活をして、念願の社会人になって。でもその瞬間に奨学金という借金を背負ってのスタートです。働いても働いても、楽しいことに使える時間もお金もなかったのでしょう。

新型コロナウイルスのせいでリモートでの仕事。狭いワンルームの中で、逃げ場を失って、それ以上頑張れなくなってしまったのでしょう。
ほんの2年ほど前には、こんな笑顔を見せていたのに。
この 40 ㎡ほどのアパートで、親子3人で住んでいたときは幸せだったのでしょうか。東京だから、頼れる人もいなかったから、それで辛かったのでしょうか。

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お金の請求をされずに安堵の表情を浮かべている両親に、私はそれ以上何も言えませんでした。

家主の気持ちを考えれば、お金の請求をしたいのは山々でした。ただあのまま押せば、必ず相続放棄をされてしまいます。そうなればこの先1年くらい決着がつかないまま、次の入居者も入れられず、そしてきっとお金の回収もできず、時間だけがいたずらに過ぎていくだけです。

賃貸借契約を解約して荷物を撤去してもらえれば、仮に家賃を下げたとしても、入居者募集という前向きな方向に進めていくことができます。
私は両親に会いに行く前に、お金の回収ができそうになければ、せめて早期に解決できるようにしようと家主と話し合っていました。家主は憤りを隠せないまま、それでも私の話を聞いて決断してくれたのです。

この後、2020年の6月くらいから、賃貸物件内での自殺件数は増加する一方です。加速度的に増えている印象です。そしてこの案件のように、若い子の自殺が目立っていました。そして秋ごろから、ようやく自殺が増えたと報道されるようになりました。

新型コロナウイルスによる死亡者より、はるかに多い人たちが毎月自ら命を絶っています。その度に家主は、経済的に追い込まれているのです。

政府の統計によると、日本では2020年 10 月の国内の自殺者数が年初来の新型コロナの死者数を上回りました。警察庁が発表した同月の自殺者は2199人と前月から急増。一方、厚生労働省がまとめる日本の新型コロナ死者数の合計は、 11月27日時点で2050人となっています。

法律は何のためにあるのでしょうか。時代の流れの速さに、古い古い法律だけが不動の顔形で私たちの前に立ちはだかっている、そんな気がしてなりません。そして失われる若い命。新型コロナウイルスは、経済的な弱者に襲いかかります。

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