“自分にできる一番たくさんのいいことを行う”というシンプルな倫理観が世界を変えるかもしれない。そのムーブメントのきっかけは、一冊の本でした。

●お話しを伺ったのは…
関美和さん
せき・みわ/翻訳家。ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。モルガン・スタンレー投資銀行を経てクレイ・フィンレイ投資顧問東京支店長を務めた後、翻訳の道へ。現在アジア女子大学(バングラデシュ)支援財団理事。

若い世代に影響を与えた一冊の本について

2015年にアメリカで出版された一冊の本が、ミレニアル世代(2000年以降に成人を迎える世代)を中心にじわじわとムーブメントを起こしているという。

その本とは《The Most Good You Can Do:How Effective Altruism Is Changing Ideas About Living Ethically》。邦訳版『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと―〈効果的な利他主義〉のすすめ』も出版された。著者であるピーター・シンガーの核となる主張とは、ずばり「効果的な利他主義」。要約すると、人は他人のために自分にできる“一番たくさんのいいこと”をするために生きなければならない、それも効果が最大限になるように、というものだ

【ピーター・シンガー】とは
1946年生まれ。倫理学者、哲学者。米国プリンストン大学教授。応用倫理学の立場から、畜産動物の解放、貧困の解消、安楽死などの問題について提言する。2013年「TED」(世界の知識人によるスピーチ動画配信)で効果的な利他主義について語り、話題となった。

具体的にはどういうことか? シンガーは、貧困と格差に満ちた世界を是正するために「効果的な利他主義」がいかに重要であるかをあらゆる統計データを駆使して説き、これを実践する人々の行動例をリストアップしている。巨額を稼ぎ、自分自身は質素に暮らしながら収入の大半を寄付に費やす起業家。与えるために稼ぐというライフスタイルをごく自然に受け入れる若い世代。さらには見知らぬ人への臓器提供まで厭わぬという極端なケースも語られる。読み進めるほどに衝撃的な事例の数々に遭遇し、たじろいでしまう。戸惑いを抱えながら、この本をどう受け止めるべきか? 翻訳者の関美和さんに話を聞いた。

【利他主義】とは
利己主義の対義語。19世紀フランスの哲学者オーギュスト・コントによって初めて使われた語で、自己の利益を目的とせず困窮する他者を援助することを指す。ピーター・シンガーはこれに「効果的」という形容詞をつけて1972年に論文でその効用を説いた。

慈善とは、誰もが必ずやらなければならない義務である

シンガーが説いている効果的な利他主義とは、『功利主義』の考え方が源流にあります。つまり最大多数の最大幸福、できるだけたくさんの人が、たくさんの幸福を享受することがいいことであるという考え方です。だから“量”が大事なんですよ。慈善とは人が生きていく上で『やってもいいし、やらなくてもいいオプション的な良い行い』と捉えられがちだと思うのですが、シンガーはこれを明確に否定して、『必ずしなければならないこと』だと述べています。ここでまず、たいていの人はガツンとやられるのではないでしょうか」

目の前に死にそうな子供がいれば、誰しもすぐに助けようと何かしらの行動を起こすだろう。しかし、世界で8億人を超える人が飢餓状態にあり、栄養不良により5歳になる前に命を落とす子供の数は年間500万人に及ぶという事実を知りつつ、何も行動しないのは、その人たちを積極的に殺しているのと同じことだというのがシンガーの論理なのだ。目の前に悲惨な状況や困っている人をビジュアルとして認識しなければ、私たちは援助のアクションを起こせないのだろうか?

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「シンガーは、そのことも述べています。私たちはつい、痩せ細ったアフリカの子供たちの映像を見れば、飢餓問題に取り組む団体に寄付したくなり、自分の妻を乳がんで亡くしたから、乳がん撲滅運動を援助したい、と考えますよね。そのこと自体をシンガーは悪いとは言いませんが、自分の行為は本当に効果的であるかどうかを見極める必要があると説いています。今すぐ、一番助けなければならない人たちは誰なのか? 自分のお金をどこに寄付をすれば一番効果的か? ということを、よく比較検討するべきだと言っています。つまり、同情や共感だけで寄付先を決めるのではなく、エビデンスに基づいてリサーチをした上で、理性的に行動を起こすべきだと」

私たちはつい自分の目に見えること、身の回りで起きていることに感情的に囚われてしまいがちだ。しかし自分に近しい人々の命と、どこかで生きている見ず知らずの人の命とは全く等価であり、これは科学的な事実なのだとシンガーは言う。だから常に冷静な視点を保ちつつ、どれだけの金額で何人を助けられるか、ということに留意するなど数字に敏感になるべきだと訴えている。では、理性的に寄付先を選ぶにはどうしたらいいのだろう?