私が「美しい」と思われる時代は来るのか?“褐色肌、金髪、青い眼”のモデルが問う

私は「時代の比喩」になりたい
シャラ ラジマ プロフィール

新しい価値観は言葉だけでは伝わらない

私が魅力的とされない限り、私が保持している思想、支持しているカルチャーが危険に身を晒されてしまうかもしれないという気持ちで守っているし、いま現在している表現活動も意味をなさない。

私が美しいのかどうかはわからなかったけど、これが美しいとされることが来れば良いなと思って努力し続けたし、これからももっと努力し続ける。私の後に生まれるであろう、未来に生まれるであろう、近しい境遇の人々やこの先の私たちの子孫の価値観の変容に繋がればいいなと思っている。

新しい価値観の容認は、言うだけで伝わるものではない。もちろん言論で唱え続けることは大切だけど、最終的にはデザイン的に組み込まなくてはならないと感じている。

誰かが言ったからそうなるものでなくて、サブリミナル的に聞いて、見て、感じて自然に入ってきたものが大きな変化に繋がる。実社会で起きていることの方を私たちは信じるし、身体性を持って感じとる。そういう効果として私はこの活動をしているし、肌にゆっくりよく馴染んで行けば嬉しいと思っている。

私は水のようにこの社会に馴染んでいきたい。そのためには違いの部分よりも、みんなと繋がっている部分を際立たせて行きたいし、私がみんなと繋がっていられるのはこの日本語とこの国で学んだ、カルチャーの部分だ。

 

日本人のカルチャーへの許容、文化的豊かさは総合的に見てもとても高いと幼い頃から感じていた。

美術の時間で周りが普通に好きな絵を描いている環境に驚愕した。友人とプリクラを撮り、その写真にデコレーションを施すセンス、交換日記の中で描かれるイラストのクオリティの高さに文化レベルの違いが浮き彫りになっていた。

それまでの私は絵を描いたこともなければ、日々いかに多くの掛け算を暗算できるか、いかに多くの英単語を暗記し、英作文を書けるかということしか学んだことがなく、芸術や文化の豊かさを一切知らなかった。

大人になった今でも、日本では作る仕事をしていない人も、陶芸や美術などに一定の興味を持っているし、例えば食文化の豊かさは、その文化的素養の高さを一番象徴している。

そんな文化的素養と側面を学ばせてくれ、クオリティの低いものからクオリティの高いもの全てを体験できる豊かな環境を提供してくれた、「東京」という街がなければ今の私はないだろう。

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