2021.04.25

浅草・ホッピー通りで50年以上店を営む在日コリアン2世「怒涛の半生」

子供3人を女手ひとつで育てて…
古い飲み屋街や横丁は、多くが戦後、それもヤミ市の時代に端を発する。そして、さまざまな人々が入れ替わり立ち替わりで街づくりを担ったわけだが、表立って語られることは少ない。フリート横田氏の最新刊『横丁の戦後史』では、この人々を正面から取り上げ、関係者の元に飛び込み、取材・考察している。
今回、本書には収録されなかった、エスニック・マイノリティたちも形成に関わった人気横丁の知られざる歴史を紹介する。場所は浅草・ホッピー通り。浅草で修業した大御所芸人の姿も登場する。
筆者撮影

いつの間にか「ホッピー通り」に

この横丁の名を、誰が付けたかもわからない。それも大昔ではなく、つい最近、この十数年のうちに呼ばれるようになった名だ。人呼んで「ホッピー通り」という。

浅草寺の西側、伝法院通りを曲がると突如太い路地が開け、両側には細く狭い建物が並び、20店舗ほどの飲食店が軒を連ねている。目を引くのは軒先にテントを張り出し、路地にハミ出した席だ。

浅草の横丁としてもうひとつ知られる「焼肉横丁」(国際通り飲食組合)と同様に、ホッピー通りも在日コリアンが形成に深く関わっているとされる横丁だ。だが、焼き肉屋はなく、モツ煮込みやモツ焼き、大衆居酒屋メニューで勝負している。いっときは煮込み通りなどと呼ばれたこともあったそうだ。

横丁が形成された当初の「第1世代」のほとんどが街を消し、街が刻んだ歴史は徐々に風化しつつある。現在、店を営む第2世代以降との意識差は大きく、部外者は近づきにくかった〈境界〉は融解しながら路地の説話も消失していくという、二律背反が進行している。

調べを進めると、ホッピー通り内部の人々には、昔を知る人はほとんど残っていないことが分かった。だがお一人、それもとてつもなく威勢のいい人に出会えた。

 

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