アメリカの尖閣諸島政策、機密解除文書で浮き彫りになった危険な欠陥

沖縄返還時に中国に日和ってそのまま
ロバート・D・エルドリッヂ プロフィール

アメリカは逃げた

それ以前はどうだったのか。拙著『尖閣問題の起源―沖縄返還とアメリカの中立政策―』(名古屋大学出版会、2015年)で紹介しているように、琉球列島の米軍政府は、1948年4月に米空軍が空対地の射撃練習のために久場島を使用することを発表し、1955年まで使っていたが、その後、米海軍が主に使用するようになった。

1956年4月中旬には、海軍も大正島を使用するようになった。漁獲量が多いため、沖縄の漁師たちは久場島周辺の5マイルへの立ち入り禁止を緩和するよう要請し、1956年に100ヤードに変更された。大正島でも5マイルの禁止が実施されているが、中国の漁船や公船が定期的に違反しているという。

ここ数十年の尖閣諸島に対するアメリカの姿勢は非常に複雑である。欠陥があると言った方がいいだろう。

いずれにしても、あまりにも複雑なので、アメリカ政府のスポークスマンの1人であるジョン・カービー国防総省報道官(元米海軍少将、元国務省報道官)でさえ、2月下旬に尖閣に対する日本の「sovereignty(主権)」を支持すると発言し、4日後に「(従来の)政策に変更はない」と訂正するという重大な問題を起こした。

前述の著書で詳しく紹介したアメリカ政府の方針は、1971年6月に尖閣諸島(および南西諸島を構成し、1953年の奄美群島返還時に日本に返還されなかった沖縄などの島々)の施政権を返還することに合意したものの、尖閣諸島の領有権については見解を示さなかったというものであった。

 

これは、当時アメリカの正式な同盟国であった台湾と、ヘンリー・キッシンジャー国家安全保障補佐がリチャード・ニクソン大統領の中国訪問を調整するために密かに会談していた中華人民共和国とが、突然主張してきたことを考慮してのことだった。

「第1次ニクソン・ショック」と呼ばれるこの訪問計画は、沖縄返還協定が締結された1ヵ月後の7月に発表された。

 

中国へのメッセージ、日本の失望

私はアメリカのこの姿勢を強く批判している。この姿勢には欠陥があり、危険なものだ。

私が批判する理由は、これが1972年以前の77年間のアメリカの政策に反するものだからである。すなわち、1895年に尖閣諸島が日本に編入されて以来、アメリカは尖閣諸島に対する日本の主権に疑問を抱かず、1945年以降1972年までは日本に代わって尖閣諸島を占領・管理してきたのである。

より以前に刊行した拙著『沖縄問題の起源―戦後日米関係における沖縄、1945-1952』(名古屋大学出版会、2003年)で紹介したように、アメリカ政府は、尖閣諸島を含む南西諸島に対する日本の「残存主権」を認めていた。

 

しかし、1971年になると、アメリカ政府は日本や尖閣諸島の地位に関する自らの長年の方針との距離を置き始めた。例えば、沖縄返還協定で尖閣諸島の名前を掲載することを拒否し、合意議事録を横に並べる必要性が生じた。

日本政府がアメリカの態度に失望し、困惑したのは当然であり、アメリカの "回避的な態度 "を批判した。

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