セリフを減らし表情や風景で見せる

39種の生き物が登場し、鳥の声や、自然の美しい風景に癒される映画だ。
「私は河合先生と同郷で、篠山の風景を知っています。原作の少年動物誌を読んで、6人の兄弟を立派に育てたのは、どんなお父さんお母さんか見てみたい、というところから始まりました。できるだけ、セリフを減らしたかった。シナリオには、セリフがたくさん書いてあるんですよ。それを、どんどん減らして、絵で見せるんです。セリフがない10分を撮ろうと思うと、1週間から10日かかる。表情や役者が全身で演じるしぐさ、風景で見せる映画です。

いろいろな仕掛けもあります。マトが寝込んでいると、ガラス戸にヤモリが現れる。よく見ると、呼吸して、心臓が動いています。そのシーンで、生きていること、命って何かが伝わる。カタツムリも何度か出てくるのですが、亡くなったおばあちゃんの象徴になっていて、おばあちゃんが帰ってきたんやねというシーンもあります」

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子供は木に登り、群れるもの

コロナ禍に子供の活動が制限され、マトたちが自然の中でのびのび遊ぶ姿に、一人の親として考えさせられる。
「校外学習があると、けがしたら、何かあったらどうするって、親が心配する。高学歴の母親が増えて、先生も突っ込まれると対応できない。子供は、想像以上のことをします。もともと人間はお猿なんだから、木があれば登りたい。管理責任を問われる先生は、登ったらダメと注意する。どの木なら、どこまでなら登って大丈夫かは、経験で感じ取るもの。子供は柿を食べたいから登って、枝が折れて、けがすることもある。柿の木は、他の木に比べて柔らかく折れやすいのです。あざみの花はきれいだけど、つかむととげが痛い。そうやって、試行錯誤したほうがいい。

体験学習とか自然学習なんて、大人のシナリオを押しつけなくても、勝手に遊んで、体験の中で覚えていくものです。田舎は都会と違って、自然が多く残っていて、子供たちにいい環境だろうと思われています。でも子供が減り、家と家との距離も離れているので一人で遊んだり、数人で家でゲームしたり、大勢の仲間と外で遊ばなくなった。住宅街には子どもがたくさんいますが、習い事が忙しく友達と遊ぶ時間がない。子供は本来、群れるもの。その中で人間関係を学び、成長していくのです」

『森の学校』での生き生きとした三浦春馬さん ©️2002森の学校製作委員会

筆者も子供の頃、茨城の田んぼや川で遊び、親戚や友達とのかかわりがあった。
「いじめが起きて、教育委員会や学校が悪いと言われるけれど、昔からいじめはある。いかに察知するか、どう対応するかが、問われている。昔は、地域に世話焼きおばさんや、怖いおじさんがいた。近所の人が叱ってくれたし、夕ご飯の時に1人多いなと思ったら、よその子が混じっていたってこともありました。両親、先生だけでなく、周りの大人の目も地域の子たちに向けて、育てていました。

それに、生と死が身近にあった。生まれるのも、死ぬのも自宅だった。産婆さんが駆けつけたり、じいさんが死んだらドラが村中に響いて知らせたり。いまは、病院で生まれて、病院で死んでいく。医療が発達して、長生きできることは否定しませんが。この映画を親子で見て、笑って泣いて、楽しみながら家族や命について考えてみてほしいです」