オープンダイアローグのトレーニングによって、私がどう変わったか?

傷ついたセラピストが癒えるために
森川 すいめい プロフィール

家族について話すセッション

価値のセッションが終わると、次は、自分の家族について話すというテーマが与えられた。それは、私にとってもっとも触れられたくない事柄だった。

講師たちは、

「話せる範囲でいいです」

と言ってくれていたし、話す量を調整する力が専門職には求められていた。だから私は、少しずつ話すことにしようと思っていたのだが、ほんの少しこころの扉を開くと、開いた傷から感情が一気に言葉になって溢れ出た。

少しだけ話すなんて、できるはずがなかった。話すか話さないか、そのどちらかしかなかった。

私がケロプダス病院に行ったとき、スタッフの一人がこう話してくれた。

「誰もが、自分の人生の中で、こころに傷を持っています」

人生には出会いと別れがある。人と関わる中で、とても大きな傷を負う人たちもいる。

自分の話をするというトレーニングでは、どうしても自分自身のこころの傷に触れることになる。自分の家族の話をするとき、たいていの人は目に涙を浮かべた。私は最初に家族の話をしたとき、涙を流し深く嗚咽した。もう二度と会うことのない両親のこと。

それまでの私は、もう大人だし精神科医になったのだから、家族のことや傷ついた体験など、自分のことを他人に話すものではないと思っていたのだと思う。過去を乗り越えて今がある。私は未来に向かっている。そう考えていた。

だから私は、自分が嗚咽していることに驚いた。私は、過去に蓋をしていただけだった。私は仲間たちに身をゆだねて涙し、自分で立つことができるようになるまで支えてもらった。

そして、私は仲間の話を聞き、同じように涙した。私が体験したように、仲間にもそうしてあげたいと思った。あなたに支えが必要なときは、いつでもちゃんと支える。だから安心して、その傷を話してほしいと願った。

 

鎧を脱いでも大丈夫な人

私が誰かと家族を持つなど、とても考えられないことだった。鎧をまとい、自分を他人に見せることができない私には、とうてい無理な話だった。

しかし、日本での基礎トレーニングを終えた年、私に家族ができた。鎧を脱いでも大丈夫な人と出会えたからだと思う。

この原稿を書く現在は、1歳9ヵ月の子どももいる。生きることが下手でしかたなかった私が、少しはましになってきたように感じている。

とはいえ、家を出ると、鎧を脱いだ私はいつも全身が震え、自分を支えるものを見失って、一時は生きるのさえつらくなっていた。

その頃、フィンランドで2年間のトレーニングコースがあると聞いた私は、すぐにそれに飛びつきたくなった。新しい武器と鎧がそこにあると思ったからだろう。裸になった私は、そのままで生きることや仕事を続けることにまだ自信がなかった。

しかし、また一方で、私のような者が、トレーニングに行っていいはずがないとも考えていた。

ところがこのとき、私のことを理解する仲間たちが私の背中を押してくれた。

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