オープンダイアローグのトレーニングによって、私がどう変わったか?

傷ついたセラピストが癒えるために
森川 すいめい プロフィール

価値のセッションは、自分の人生につながる

こうしたとき、対話ができれば問題は解消すると思われるが、それ以前に対話の習慣がなければ、相手にその理由を聞かず自分も自分の理由を話さず、さらに会話がなくなってしまうかもしれない。

しかし、それぞれの大事にしていること、価値を置いているものを共有できていたら、「ああ彼は、それが大事だからああした行動をとったのに違いない」と思えたり、仮に失敗しても、悪気があってやったり、やる気がなくてやらなかったのではなくて、別の価値を大切にしたゆえのズレだったと肯定的に感じやすくなる。

価値のセッションは、誤解を取り除き、理解しあうことを助けてくれる。

トレーニングの中で行われたこの価値のセッションは、自分の人生につながるものでもあった。自分が何を大切にしていて、どうして働いているのか。

今考えると、そんなことさえ人に話していなかった。自分の気持ちを隠したままで、職場によいチームを作れるはずがない。

トレーニングでは、一人ひとりの話す時間がたっぷり用意されていた。ゆっくりと長い時間話す。沈黙の時間もあるが、それも大切にされる。何か情報を話すのではなく、自分の気持ちを話す。

自分の気持ちを話すためには、ゆったりとした時間が必要だった。それは自分のための時間であり、私のための時間を作ってもらえることに、心の底から感謝の気持ちが湧いた。

 

傷ついたセラピスト

話を聞く専門職は、他人の相談を聞くことには慣れているが、自分の話を聞いてもらう機会は、実はほとんどないかもしれない。

だから、自分が何を大切に思っているかを話すことは、自身の感情を揺さぶった。

「どうして私は働いているのか。なぜこの仕事をしているのか……」

それは、自分の人生と密接に関係している。参加者の何名かは、話すことによって涙を流していた。そのうちの一人が、終わりの時間に、「傷ついたセラピスト」という言葉を紹介してくれた。

話を聞く専門職たちは、この仕事に就く前、そしてこの仕事を始めてから、こころが傷ついていた。苦しいときを経験したからこそ、セラピストという役割に辿り着いたのかもしれない。

さらに、悩む患者さんを前に、何もできないという苦しみ。そうしたことを隠しながら、その傷を覆いながら、「専門職の鎧」を着て相談者の話を聞いていた。

相談者の苦悩を聞くことは、自分のこころを震わせる。それに耐えられないから、鎧をまとい、自分を守ろうとする。しかし鎧は、自分のことを話したり、相手と対話することを難しくする。

このトレーニングでは、自分が鎧を着ていることを知り、鎧を脱ぎ、その下の傷を露わにして、自分が傷ついていることを話す。傷はとても痛むものだ。そこに触れられたら、感情は大きく揺さぶられる。涙を流すかもしれないし、怒ってしまうかもしれない。

だから、その傷は癒やさなければならない。傷ついたまま鎧を脱いだら、話を聞くうちに感情が大きく揺さぶられて、自分がひどく傷つくか、反対に話した人を深く傷つけてしまうかもしれない。

価値や、大切にしているものを話す体験は、私にとって自分の傷を癒やす最初の作業になった。

講演から逃げてしまった

私は、人前で話すことは苦手ではなかった。年に100回くらい講演をしたこともあったのだが、この価値のセッションを体験して以降、話そうとすると唇や頰が震え、足腰に力が入らず、立っているのも苦しい状態になった。

私はどうして自分がそうなったのか、わからなかった。100名以上いる会場で、聴衆の前から隠れ、マイクを使って声だけ流したこともある。

もし、この状態で精神科に行ったら、不安障害とか社会恐怖とか視線恐怖とか、何らかの診断がついて薬をもらうことになっていたと思う。そして、人前で話せるようになる練習をすることになっていただろう。しかしそれは、傷をそのままにして、再び鎧を着るということだ。

私は自分自身と向き合い、自分の傷を理解して、鎧を脱いだままで自分の人生を進められるようにならなければならなかった。

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