東京から京都に移り住んだジャーナリストの秋尾沙戸子さんと、秋尾さんを京都の師とあおぐ漫画家の東村アキコさんの連載「アキオとアキコの京都女磨き」、今回のテーマは「野点」

前回の記事で、京都はご縁を大切にするネットワーク社会であること、人とのつながりを築く上で最低限お茶の心得が求められること、そこかしこで軽いお茶席が設けられていることを教えて頂きました。とはいえ、いきなり茶道に入門するのは敷居が高い。そこで今回は、京都の茶人たちが自然の中でカジュアルに楽しんでいる「野点」について伺います。

そこにも京都ならではの文化が根付いているようで……? 東京での感覚と比較しつつ、和美人を目指してアイデアを探ります。

偶然の再会を果たした知人の「まさかの反応」

いまから3年ほど前の4月。桜の花の満開の下、平安神宮近くを流れる白川に浮かべた「茶室」で、私はお抹茶をよばれていた。風が起きるとふわりと桜吹雪が私たちの上を舞い、茶碗の中の鮮やかな緑の上に、花びらがひとひらふたひら時折舞い込んで、まるで桜の精になったかのような錯覚に陥った。まさに至福の時。夢のような時間を過ごしていた。

男女2人は飛び入り参加。主催者は許可を得て白川に茶室を仮設している。写真提供/秋尾沙戸子

ふっと見上げると、地上を一人の女性が歩いている。あれ?見覚えのある顔。東京のOL時代の同期にそっくり。数十年ぶりの再会かも。思いきって名前を呼んだ。

目があった。彼女も私を認識した。「もしかして、京都に住んでいるの?」

彼女は首を横に振って、目をそらせた。偶然に喜ぶわけでもなく、懐かしがるわけでもなく、声を発することもなく、足早に過ぎていったのである。

思いもかけぬ再会に一瞬、心弾ませた私は、しかし、彼女のそっけない反応に困惑した。単に急いでいただけかもしれない。だが、彼女の醸し出した空気には、さらに別の何かがあった。川の上で怪しいことをやっている人々に関わりたくないという軽い拒絶が、余韻として漂っていた。おそらく私たちが茶の湯を楽しんでいたなどとは想像だにせず、彼女の目には、着物を着て川の中にいる変な集団と映ったに違いない。

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いや、彼女に限らない。東京で暮らす知人と同じ形で遭遇したら、理解不能な光景と引かれてしまう可能性は十分にある。和文化について、京都と東京には、それほどの温度差があるのだ。おそらく反応は、真っ二つに分かれるだろう。