石頭竜ではなくヨロイ竜でした
次に紹介するのも、同じくボーリンが1930年に甘粛省の嘉峪関付近において、白亜紀後期カンパニアンの地層から化石を見つけ、1953年に報告した恐竜である。
頭骨の破片と、歯や背中・尾などの骨の一部が見つかったこの恐竜は、ヘイシャンサウルス・パキケファルス(腫頭黒山龍:Heishansaurus pachycephalus)と名付けられた。
種小名からもわかるように、ボーリンはこの化石をパキケファロサウルスなど堅頭竜類(いわゆる「石頭竜」)の仲間だと考えたようだが、21世紀になってから研究が進み、曲竜類(いわゆる「ヨロイ竜」)の仲間であるとされた。
曲竜類に特有の分厚い背中の装甲を、ボーリンは頭骨であると見間違えたようである。ヘイシャンサウルスとされる恐竜は、おそらくはピナコサウルスのシノニム(異名)とみられている。

さまよえる恐竜たち
ほかにもヘディン隊の冒険のなかで見つけた化石はたくさんある。
たとえば、ボーリンが歯を発見した竜脚類のキアユサウルス・ラクストリス(湖泊嘉峪龍:Chiayusaurus lacustris)、やはりボーリンが椎骨を発見した曲竜類か剣竜類とみられるステゴサウリデス・エクスカヴァトゥス(凹甲剣節龍:Stegosaurides excavatus ※「ステゴサウルス」ではない)などだ。
ほか、中国人地質学者の袁復礼が新疆で見つけたものとしては、ティエンシャノサウルス・チタイエンシス(奇台天山龍:Tienshanosaurus chitaiensis)がいる。ジュラ紀後期に生息していた体長12メートルほどの竜脚類だ。
これらはいずれも中国の恐竜発掘史上では最黎明期の発見だけに、残念ながら現在では疑問名とされている種や、厳密な分類がよくわからない「幻の恐竜」のような種が多い。令和時代の私たちには聞いたことのない名前の恐竜ばかりなのは、こうした事情ゆえだ。
もっとも、「さまよえる湖」を見つけた探検家のチームは、「さまよえる恐竜」もたくさん見つけていた。そんなロマンを感じさせてくれる話ではある。
【参考文献】
ヘディン, スウェン・アンデルシュ. “中央アジア探検史 ヘディン博士の指揮下での中国西北への科学調査の報告:西北科学考査団.” 国立情報学研究所「ディジタル・シルクロード」/東洋文庫. doi:10.20676/00000210.