新聞が読まれなくなった至極当然の理由、それでも刷り続けるしかない裏事情

「社会の公器」の最期は近い
週刊現代 プロフィール

例えば、朝日を読んでいる人は基本的人権を擁護し、安全保障については抑制的な態度を示すということを大前提としたうえで社説などを出しているようです。

でも実際は購読者数の減少とともに、そうした共同体が消滅してしまっているのが現状です」

いまだに自らが「社会の公器」であるかのようなご託を並べているが、当の社会のほうが変化し、新聞だけが時代に取り残されてしまったのだ。

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西田氏が言うように、朝日をはじめとした新聞各社は紙面でことあるごとに民主主義の重要性を説いてきた。

〈対立する意見が交わることのできる対話の場を取り戻す。弱者や少数者への視点を守り育てる。そこから民主主義の再生を図っていかねばならない〉(「朝日新聞」1月3日付)

とはいえ、新聞は常に最新の情報を載せる場である。情報が更新するたびに意見も微調整していかなければならない。傍から見ると一貫性がないと非難されることになる。

昨年、第1回目の緊急事態宣言が発出された翌日の4月8日のことだ。

朝日は〈朝日新聞の社説は、市民の自由や権利を制限し、社会全体に閉塞感をもたらす緊急事態宣言には、慎重な判断が必要だと主張してきた〉と、政府を諌めた。

 

ところが、今年の3月19日、菅首相が緊急事態宣言の解除を決めると、〈より感染力の強いとされる変異ウイルスの拡大も心配だ。にもかかわらず、菅首相は緊急事態宣言の全面解除に踏み切った〉と非難した。

緊急事態宣言など〈自由を制限する措置は最小限〉('20年1月30日付)にすべきと主張してきたのに、それを今度は延長すべきだと言うのだ。

民主主義でみんなの意見を聞いていては、コロナに対応できないことがわかってきたからだ。

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