彼が性的虐待裁判で活動の停滞を余儀なくされたのとほぼ同時期(1993~1994年)に、性的暴行にまつわるニュースでメディアを騒がせた2人の黒人アーティストがいる。ラッパーの2パックと、R&BシンガーのR.ケリーだ。前者は女性へのレイプ事件で実刑を受け、後者は当時未成年だった女性歌手に年齢を詐称させて結婚しようとした。

R.ケリー〔PHOTO〕Getty Images

マイケルへの性的虐待疑惑に関してここで無条件に擁護するつもりはないが、少なくとも彼は有罪にはなっておらず、明確に虐待をしたという証拠も当時は出なかった。それに対し、実刑を受けた2パックや、未成年女性と結婚しようとしたR.ケリーは、法を犯したという明確な事実がある。

だが事件後にイメージダウンをまねき、アルバムの売上も落としていったマイケルとは対照的に、2パックとR.ケリーはそれ以降も売上を伸ばして全盛期を迎えたのだ。

もちろんマイケルには他2人とは比較できないほど長いキャリア、音楽界への多大な功績があるからこそ、スキャンダルが重く受け止められた一面はあるだろう。しかし、2パックは未だにアメリカの音楽界で神聖化されたままで、R.ケリーは性的虐待や暴力でたびたび告発されながらも、長きに渡り法の裁きを受けることはなかった。彼が未成年を含む複数の女性たちへの性的虐待や児童ポルノ所持など10件以上の容疑でやっと逮捕されたのは、2019年になってからのことだ。

R.ケリーの被害を受けた女性たちの証言をもとにしたドキュメンタリー『Surviving R. Kelly』が2019年に公開。同作が彼の逮捕につながったと言われている。写真は証言した女性の記者会見の様子〔PHOTO〕Getty Images

同じ黒人アーティストでも、この扱われ方の違いはなんなのか。

それはマイケルの場合、被害を訴えた側が男性だったからではないだろうか。被害者が女性のときより男性のときの方が糾弾されやすい、という構図があるように思えてならない。ここでも、女性の問題を軽んじる現象が起きている。

数々の女性歌手が女性蔑視的な扱いをメディアから受けてきたのと同じように、男性歌手たちも理不尽な扱いを受けてきた。そして、そのいくつかは僕も身をもって体験してきたものだ。

僕自身、昔から少女漫画が好きで、趣味はインドアなものばかり。スポーツも嫌いで、体育会系の男性の集まりには入っていけなかった。いわゆる「男らしい男性」ではなかったので、童貞いじりをされたこともあるし、ゲイいじりをされたことも幾度とある。男性もこの社会で息苦しさを感じているのは事実だと思う。

だから、女性の苦しさがメディアで取り上げられているのを見た男性が、「男だって苦しいんだ!」と言葉を被せたくなる心理は理解できる。でも、女性蔑視について声をあげることは、男性の生きづらさを無視することではない。むしろ、男性たちをときに追いつめる男らしさや、それを押しつけてくる社会の息苦しさは、女性蔑視の上に存在しているのだから。「男だって」と言う前に、一度立ち止まってこのことに意識を向けてみてほしい。