アジア人差別を急増させた、消えることのない「トランプ・ウイルス」

トランプ主義の悪夢【前篇】
川崎 大助 プロフィール

ともあれこの人物像が、とてもよかった。演じたのはペドロ・パスカル。『ゲーム・オブ・スローンズ』で色男剣士オベリン・マーテルを演じた彼が、トランプ(のような男)の心のゆらぎを、見事に演じていた。ゆえに『ワンダーウーマン 1984』のなかで、僕の目から見て「血が通った」キャラクターと感じられたのは、ほぼ唯一、彼のみだった。

 

だから映画的に、じつに「まずい」ことになってしまう。「トランプのような男」の欲望の虚しさ、人間味あふれる哀れさを描こうとするあまり、マックスが「愛される悪役」になり過ぎていたのだ。ワンダーウーマンは、まあ超人だから、当然にして観客がストレートに感情移入することは、とても困難だ。

ゆえにただひたすらにマックスのみが「その役」を引き受けてしまう。たとえば、ジョーカーが「いい奴すぎる」バットマン映画とでも言おうか。しかもマックスは最後の最後に「自分で改心」してしまう。つまりワンダーウーマンは「トランプを倒す」ことができない!のだ……。

言うまでもなく、アメリカ人は「80年代のトランプ」をよく知っている。彼が「世間に存在を知らしめた」時代がそこだったからだ。若き億万長者として、派手なビジネスマンとして「誰もが知っている」有名人となった。

1988年、テレビに出演するトランプ氏(photo by gettyimages)

たとえば日本で言えば、タモリが『笑っていいとも!』の司会者だったことを誰もが知っているのと同じぐらい、常識的に、アメリカ人なら強烈に「あのころのトランプ」を記憶している人は多い。だからこの映画を見終わったあと、ほぼ自動的に、こうした思いが浮かび上がってこざるを得なかったはずだ。

「ああ、現実にはワンダーウーマンも、スーパーヒーローもいないんだなあ」

「だって80年代にトランプは『改心』しなかったし、だから大統領にまでなっている」

「つまり、現実のトランプを止められる『ヒーロー』なんて、いないんだ……」

アメリカ人観客のみならず、僕も同じ感慨を抱いた。ゆえにこうした点が、同作の低評価へと直結したと考える。アクション・シーンなど、スペクタクルの面ではそれなりだったのだが、なにしろ「トランプの世」において、これはないだろう……と。

「マンガの王」トランプ

もっとも、本作の当初の公開予定日は20年6月5日。つまり大統領選の投票日以前だった(コロナ禍で公開延期となった)。つまりはそもそも「トランプの再選を阻む」という制作者側の考えからこうした内容となった、と読むべき一作だった。

にもかかわらず「こんな具合になってしまう」ところに、トランプという存在のやっかいさがある。戦いにくさがある。良識の側が悪口を言えば言うほど巨大化する、まるで小言をエネルギーにどこまでも大きくなる「赤ちゃんトランプ風船」みたいな光景を、僕は想像する。

なぜならば、元来彼こそが「マンガの王」だったからだ。彼の存在そのものが、生きるダーク・ファンタジーだったからだ。この怪物の正体について、次回くわしく見ていこう。

(明日8日公開予定の後篇に続く!)

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