2021.04.02

苦節15年…会社員を辞めた私が「時代小説」で「藩=組織」を描く理由

砂原浩太朗特別インタビュー

刊行直後から各紙誌の書評にたびたび取り上げられ、発売2ヵ月で5刷が決定。今大きな反響を呼んでいる時代小説『高瀬庄左衛門御留書』をご存知だろうか。

舞台は江戸時代。架空の藩、神山藩の下級武士である高瀬庄左衛門が主人公だ。50歳を前に妻を亡くし、息子をも事故で亡くしている。寂寥と悔恨の中で、息子の嫁だった志穂とともに手慰みに絵を描きながら、ただ倹しく老いていく日々。だがゆっくりと確実に、庄左衛門は藩の政争に巻き込まれていく――というストーリー。

「上役からの理不尽な仕打ちに苦しむ下級武士」という、しばしばある構図にとどまらず、自分を理解してくれる上の立場の人間もいれば、自分のことなど気にも留めていないが藩の政治に欠かせない人物もいる……というように、組織内の人間を多面的に描いているところにも、独自の視点を感じさせる。

著者の砂原浩太朗さんは、文芸編集者からフリーランスのライター、校正者を経て作家に転身した経歴の持ち主。本書が刊行されるや、「藤沢周平、山本周五郎といった先達を思い出す」との声が多くあがった。

デビューまでの紆余曲折、これまでの人生経験と作品とのつながり、そして会社を辞めてフリーになったからこそ見えた「組織」「社会」とは。

 

デビューまでの15年を決して忘れない

――30歳を機に会社を辞め、フリーのライター、校正者として活動されていたそうですが、なぜそういう決断をしたのでしょうか。

砂原:まず大前提として、「小説を書くのだ」という思いがありました。編集者と作家はひとつの作品を創っていく同志のようなものですが、作品に対するアプローチが違います。作家はいかにクオリティの高い作品を仕上げるかに注力すべきだと思いますが、編集者は、その作品を商品としてどう仕掛けていくか、世の中にどう訴えていくかを考える必要がある。平たくいうと、「どうやって当てるか」ということですね(笑)。長く編集者を続けていくと、自分が進みたい方向とは違うスキルが浸み込んでしまうと感じ、決心しました。

――フリーランスになったことによる苦労はありましたか。

砂原:さいわい仕事は順調でしたが、かえって勤めていたころより忙しくなってしまいました。僕に限らないと思いますが、フリーランスって、基本的に仕事を断れないんですよ。何度も断っていると、仕事が来なくなってしまいますからね。その結果、生活はできているけれど、小説を書く時間も余力もないという、まさに本末転倒の状態になりました。

それでもどうにか書き上げた渾身の作が、新人賞の二次選考で落選したのが2010年。そこからデビューする2016年までを、自分では「暗黒時代」と呼んでいます(笑)。あのころは、仕事先と家族に対する責任感だけで生きてましたね。今だから言えますが、「死ねばこの責任から解放されるのかな」と思ったことも、たびたびありました。そんな状態が何年もつづき、「でも、やっぱりこのままでは死ねない」と、起死回生の思いで投稿した短編「いのちがけ」で「決戦!小説大賞」をいただき、デビューに至ります。会社を辞めてから、15年ほどが経っていました。

砂原浩太朗さん 撮影/村田克己

――苦悩の15年間は、砂原さんにとってどのような時間だったのでしょうか。

砂原:その15年はいろいろな意味で本当に大きかったです。家にいる時間が長いので、「生活」というものが、じかに自分へ降りかかってきました。会社員のころは、毎日洗濯をする、ごみを出す、掃除をする……といった生活のルーティンをあまり意識していませんでしたが、実は「生活」って、そういう無限のルーティンで成り立ってるんですよね。

それは小説を書く上でもおなじで、机に向かって執筆していても、一日が終わってみると、原稿何枚、ゲラ何ページというふうに、全体の何分の一、何十分の一しか進んでいません。でも、結局は、その積み重ねの上に全てがあるんだということを、理屈ではなく肌で感じるようになりました。

――その実感は、創作に生かされていますか。

砂原:『高瀬庄左衛門御留書』でいうと、「刃」という章は、庄左衛門が米を炊いているシーンから始まります。慣れない家事に悪戦苦闘する彼の姿を、詳細にというか、執拗に(笑)描写しました。ストーリーには直接関係ないシーンですが、これは絶対に外せないと思いました。どんな壮大なストーリーも、こうした小さい部分の積み重ねだということを忘れたくなかったんです。そういう、細部の重みを実感した15年だったと言えるでしょうね。

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