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謎の古人類「明石原人」の命名者・長谷部言人が誕生

サイエンス365days

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

戦火に消えた謎の化石人骨

1882年の今日(6月10日)、「明石原人」を命名した人類学者の長谷部言人(はせべ・ことんど、1882-1969)が誕生しました。

東京の麹町に生まれた長谷部は東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)を卒業後に京都帝国大学に進学し、小金井良精や足立文太郎といった名だたる人類学者に師事しました。その後は新潟医学専門学校(現・新潟大学)や東北帝国大学を転々とし、1939年には東京帝大に人類学教室を開きました。

長谷部は東北帝大時代に石器時代の遺跡の発掘に参加し、出土する人骨の研究に心を惹かれました。当時の考古学では、日本の旧石器時代の人類はアイヌ人だったというのが通説でした。しかし長谷部は東日本の人骨の骨格変化の模様をつぶさに調べ、人種の違いではなく狩猟生活から農耕生活に転向したことが原因だとしました。

1931年、兵庫県明石市の西八木海岸で、アマチュア考古学者の直良信夫が、旧石器人類の腰骨と思われるかけらを発見しました。このかけらは長谷部の自宅が空襲の被害を受けたことで焼失してしまいましたが、長谷部が人類学教室で作成された石膏模型を再発見し、「明石原人」と命名したことで再び日の目を見ることとなりました。

長谷部はこの石膏模型の特徴を類人猿に近いものだと考え、縄文時代以前に日本列島に存在した「原人」のものだと結論づけたのです。日本列島にいつから人類が住んでいたのかという問いは、人類学の大きなテーマであり、「明石原人」は“日本最古の人類”として大きな話題を呼びました。

しかし、その後の研究で「明石原人」の化石の石膏模型は縄文時代以降の新人のものであるという解析がなされ、原人説は否定されています。焼失してしまった化石がいつの時代のものだったのかは、もはや確かめようがありませんが、発見場所である西八木海岸では現在でも有志による化石探索が続けられており、「明石原人まつり」などの町おこしイベントも行われています。

「明石原人」の骨の化石の複製 明石市立文化博物館展示

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