それに対して、ソフィーは事態を正確に理解するひまもないまま、果敢に行きあたりばったりの対処を試みる。汚れた床を前にすれば徹底的に掃除し、行く手に出現する長い長い階段を徹底的に登り、行く先々でよるべないカカシや犬や老婆(荒れ地の魔女)を見つけてとりあえず連れ帰る。このようにソフィーの行動は、もっぱら「よくわからないけれど嫌」「行きあたりばったり」「ついうっかり」の組み合わせである。
映画のクライマックスで、特に説明もなく始まった空襲のさなか、ハウルが「守りたいものができた、君だ」と唐突な愛の言葉を残してどこへともなく出撃してしまったとき、ソフィーは「ハウルは臆病なのがいいの!」と主張し、「守られる」立場に大人しくおさまろうとはせずに、独自に事態を打開するべく、ますます闇雲に奔走しはじめる。
ソフィーの行動は、荒地の魔女の「呪い」にせよ、ハウルからの「庇護とサービスとプレゼント」にせよ、他からの強い力が働きかけてソフィーにもたらしてきたすべてを、意図せずしてことごとく破壊してしまう。
いったんすべてを壊した後に、ソフィーは当初の美と力をほぼ完全に失って怪物化したハウルとの再会を果たし、崩壊の果てに一枚の歩く板と化したハウルの動く城へと帰還する。そして、ハウルと動く城の双方は、ソフィーの意思によってより望ましい形態へと作り変えられる。
ソフィーは、映画の冒頭において抱えていたアイデンティティと家と仕事と社会に関する問題が、ほぼ完全に解決され、さらには理想的なパートナーとお城に、かわいらしく利発な子どもや愛犬までいる新しい家族を獲得する。
ソフィーにとってこれ以上は望みようがない、映画『ハウルの動く城』の大団円は、原作のように彼女の「他の人にはない特別な才能」がもたらしたものでも、「魔法使い=王子」であるハウルの力によって与えられたものでもない。普通の人間としてのソフィーが、自分自身の判断と意思に基づいて、果敢に身体を動かし、自力で勝ち得たものであることは明白だ。