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なんとIoT化も進行中! 最新「薪ストーブ」進化論

ローテクの塊はなぜハイテク化するのか

揺れる炎に目をやりながら、片手にブランデー・グラス。初老の名探偵が薪ストーブの炎を前に、ロッキングチェアに腰かけて難事件解決のため、脳細胞をフル回転させている──。

薪ストーブと聞くと、こんな場面を連想する人も多いのではないでしょうか。この記事の筆者である科学ジャーナリスト・三島勇さんも、実際に薪ストーブと出会う前は、そのようなイメージしかもっていなかったそうです。

ところが、薪ストーブを使った冬を3回過ごした今では、その「妄想」は打ち砕かれ、まったく違った印象を抱いているのだとか。

薪ストーブは手強く、奥が深い。扱う人の人間性を試し、忍耐力を要求する。一方で、その暖かさは格別。薪の準備や炉内の掃除、薪の投入など、面倒なことは多々あれど、薪がしっかり燃えてくれると、かけがえのない"相棒"だと感じられるというのです。

興味深いのは、技術開発の進んだ現在の薪ストーブが、「地球温暖化」防止策の1つとして注目を集めているということ。化学燃焼をともなうこのレトロな暖房器具がなぜ、喫緊の課題である「脱炭素」や森林保護に貢献しうるのか。ふしぎに思いませんか?

森林面積が国土の3分の2を占める日本では最近、薪ストーブの使用が増えています。科学ジャーナリストが悪戦苦闘した実体験に基づく「薪ストーブの科学」を、短期集中連載でお届けします。

子育ての「成功体験」

子どもの頃は、よくキャンプに行った。

といっても、家族と一緒にではない。実家は商店を営んでいて、なかなか休みが取れなかったからだ。

夏休みや春休みになると、私はボーイスカウトに入り、仲間とキャンプ場に行き、テントを張ったり、飯盒(はんごう)でご飯を炊いたりすることを覚えた。火起こしも教えられた。岩や石で囲いをつくり、火を着けた新聞紙を枝や薪の山に放り込む。囲いに鉄の棒を渡し、その棒に飯盒をかける。夜は、大きな焚き火を前に歌った。

布製の重いテントを張ったり、朝露でぬれてさらに重くなったテントを干してから畳んでしまったりするのが面倒で、毎回同じことの繰り返しに、小学校高学年の頃からは、キャンプに行きたいという気持ちがしだいに薄れていった。

しかし、食事づくりやキャンプファイヤーのために火を起こすことは嫌いではなかった。火がうまく着き、赤や黄の炎が踊り、揺らめく。火をただ見ているだけでも飽きない。

炎が衰えていき、白い煙が細くたなびき、薪の熾(おき)が小さくなっていく。火照った顔が冷えていくように、大きな炎を見て高まった感情が徐々に静まり、しんみりとした気持ちになる。その瞬間も、悪くはなかった。

【写真】キャンプでおこす火炎を見てしんみりとした気持ちになるのは、悪くなかった photo by gettyimages

子育てをしていた頃、ふだんはあまり触れ合うことができなかった子どもたちと一緒にキャンプに行くと、少しは尊敬されていた(と思う)。ボーイスカウトで習ったキャンプの知恵が活きたからだ。

焚き火をし、飯盒で米を炊き、川魚をさばいて焼いた。食事の後、天の川を仰ぎ、煙の立つ焚き火の前で妻や子どもたちと語らった。私の子育てにおける数少ない「成功体験」だ。

「炉」を愛した先達

歌人の若山牧水は、焚き火についてこう歌っている。

飲む湯にも焚火(たきび)のけむり匂ひたる山家の冬の夕餉なりけり

大正6年から翌7年(1917~18年)までの作品を収めた『渓谷集』中の一首だ。

牧水は、酒と旅がことのほか好きだった。軽井沢町や佐久市、小諸市などの長野県や関東の山々もよく歩いている。この歌は、「十一月のなかば、打続きたる好晴に乗じ秩父なる山より渓を歴巡る、その時の歌。」の一つだ。

秩父の山中にある家の囲炉裏端で、夕餉を楽しんでいるときに飲んだ湯に焚き火の煙の匂いを感じたということだろう。ひょっとすると、その湯は燗酒だったかもしれない。牧水は、焼いた川魚などでもてなしを受け、温められた湯(酒?)をふるまわれたのだろう。

湯に対しても、燻(いぶ)されたような煙の匂いを感じとる歌人の、繊細かつ鋭敏な感覚には、焚き火をして自己満足にひたるくらいしかできない私としては、驚かざるを得ない。

囲炉裏は、床を四角に切り抜いてつくられた「炉」だ。縄文時代の住居跡からも見つかっている。人々は、屋外でおこなう焚き火を屋内に取り込むことで、灯りや煮炊きに使い、暖もとった。その炉を囲むように家族で団欒し、客をもてなした。

もう一人、自然を愛する人物が、囲炉裏の発展型である暖房装置について書いている。

H・D・ソロー(1817〜62)は、米国マサチューセッツ州コンコードにあるウォールデン湖ほとりの山小屋で、2年2ヵ月間を暮らしている。自身でつくり上げた、幅8フィート(1フィートは約30cm)、奥行き15フィート、柱の高さ8フィートの板張り、漆喰塗りの狭家に独居した。和室でいえば、四畳半より少し広い程度だ。囲炉裏をレンガで囲い、煙突を付けた暖炉があった。

【写真】ソローの小屋コンコード・ウォールデン湖ほとりの小屋の現在のようすと、"Walden; or, Life in the Woods(邦題『森の生活』)"で扉に描かれたイラスト photos by gettyimages

ソローは、この山小屋で自給自足の生活を送り、自然や人間についての思索にふけっている。暖炉から立つ煙を「わが香煙」とよび、冬の日、そこに住んでいるのは私(ソロー)と「火」だけだった、と親密さのほどを記す。

2年目の冬、薪を節約するために薪ストーブを使うが、方丈の小屋では薪ストーブは場所を取り、屋内を臭くした。そして、火そのものを隠してしまう。ソローは大いに不満を抱き、「親しい仲間を失ったような気がした」(『森の生活』飯田実訳、岩波文庫)と嘆いている。

この薪ストーブはおもに調理をするためのもので、開口部がなかった。燃焼効率も悪く、不完全燃焼による煤煙(ばいえん)も多かったのだろう。

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