「よど号ハイジャック事件」実行犯による51年目の新証言【後編】

日朝間に残る課題解決のために

日本の現代史に残る大事件「よど号ハイジャック事件」から51年。今なお北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に暮らす実行犯たちは何を思うのか。昨年11月に出版された『実録 昭和の大事件「中継現場」』(久能靖著、河出書房新社)に書かれたエピソードの数々を、メンバー自らが振り返り検証、真実を明かした――。

■前編(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81729)から続く

犯人に同情的な乗客たち

「時計が回った四月一日の午前〇時過ぎ、自ら乗客の代表だと名乗る男性が金山政英駐韓大使と直接話がしたいと操縦席の無線を通じて話しかけた」(『中継現場』)

[若林] 「この(乗客代表の)方は商社勤務の『ヒゲの松本さん』というお方で、交渉中の田宮にも『いいかこういう時はあわててはいけない、落ち着くんだ』とかの助言を行ったという伝説の人物。帰国後も『乗客代表』として日野原先生ともども記者会見しています」

この「日野原」とは「よど号」の乗客で、「聖路加国際病院」院長を務めて2017年7月に亡くなった日野原重明医師のこと。晩年になってからは、「よど号グループ」との交流もあった。

「(乗客代表)は『このまま金浦空港で最悪の事態を迎えるより北朝鮮に連れていかれた方が、たとえ長期間抑留されても生命の安全だけは確保できる。これ以上説得を続けると危険な状態になりかねない』と強く北朝鮮行きを望んだ」(『中継現場』)

朴大統領による軍事独裁政権の横暴ぶりは、日本にも良く伝わっていた。乗客たちは、金浦空港に留まっていれば死ぬかも知れないと真剣に思ったのだろう。若林は機内の雰囲気の変化について、自ら書いた書籍があるというのでそこから引用する。

「私たちにとって、乗客たちは“制圧”しておくべき“人質”に過ぎなかった。(略)しかし二日目、『絶対に北へは行かせない』とする韓国政府の嫌がらせによって機内の状況の極度な劣悪化が生じ、(略)乗客は“保護”すべき対象になっていった。一方、乗客の側でも変化が起きていた。(略)『一刻も早く金浦を飛び立ち、平壌に飛ばせろ』の一点で、ハイジャッカーと意思が一致した』(『追想にあらず 1969年からのメッセージ』三浦俊一、2019年)

若林の偽名のサインと自画像(『昭和タイムズ2』1970年、デアゴスティーニ・ジャパン)

「ある乗客に『サインをくれ』と手帳を差し出されたので、私は一筆書きの自画像イラストと、偽名の“中原礼二”のサインをした。『君のことを家族に伝えてあげよう』という乗客の親切は、丁重に断りながらも、“武器”の短刀で髪を切って『琵琶湖に行ったらこれを撒いてください』と託した。後で出身地がばれるかな、と少し反省もしたが、何となくそんな心情になったことだけは事実だ」(同上)

若林が髪を琵琶湖に撒いて欲しいと言った理由は、滋賀県の出身だったからだ。

 

「この(犯人と乗客との)境界のなくなる雰囲気にたまりかね、田宮がついに演説をした。『乗客のみなさん。あなた方は人質なんだということをわからねばならない。よって人質相応の態度をとってほしい!』 後に笑い種になったが、田宮としては『いくらなんでも』という思いだったのだろう」(同上)

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