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「米中新冷戦」激化のウラで王毅外相が明かした「中ロ準同盟」の全貌

「第三の大国」ロシアはどう動くのか

「米中新冷戦」への「宣戦布告」

3月18日と19日に米アラスカ州で開かれた、ジョー・バイデン政権になって初めての米中高官協議は、「米中新冷戦」がもはや不可避だろうとの観測を、世界に見せつけるに十分なイベントだった。

1時間余りにわたったトニー・ブリンケン国務長官、ジェイク・サリバン安保担当大統領補佐官と、楊潔篪(よう・けつち)党中央政治局委員兼中央外事活動委員会弁公室主任、王毅(おう・き)国務委員兼外相の「口撃合戦」は、まさに「米中新冷戦」への「宣戦布告」を、互いに告げ合っているかのようだった。

「米中新冷戦」に関しては、拙著『ファクトで読む米中新冷戦とアフター・コロナ』(講談社現代新書)で詳述したように、1)貿易戦争、2)技術戦争、3)人権戦争、4)金融戦争、5)疫病戦争、6)外交戦争、7)軍事戦争と、7段階で展開していく。

今週のコラムでは、「米中新冷戦」における「もう一つの大国関係」について述べたい。それは「米中新冷戦」には、「米中2大国の対立」という表の部分とは別に、その裏で「中ロ準同盟」という「もう一つの大国関係」が醸成されていくということだ。

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「第三の大国」の動向

過去を振り返ると、20世紀後半の世界を覆った「米ソ冷戦」において、「主役」の米ソ2大国の対立の中で、「第三の大国」である中国の動向が重要だった。

日本が敗北した後の1946年から1949年の中国の国共内戦は、米ソによる代理戦争と言っても過言ではなかった。すなわち、「アメリカ=中国国民党vs.中国共産党=ソ連」という構図だ。

勝利した毛沢東主席率いる中国共産党軍は、1949年10月1日、ソ連をバックにした中華人民共和国を建国。毛主席は、建国直後の多忙を極めた時期にもかかわらず、ヨセフ・スターリン首相の古希を祝うとして、生涯ただ一度きりの外遊であるソ連を訪問した(1949年12月16日~1950年3月4日)。

新中国建国後の北京の「十大建造物」(人民大会堂、中国革命歴史博物館、中国革命軍事博物館、全国農業展覧館、北京工人体育場、北京駅、北京民族文化宮、民族飯店、釣魚台国賓館、華僑大厦)は、すべてソ連の援助や技術によって造られた。中国にとってソ連は、「頼りになる社会主義の兄貴分」だった。

こうして20世紀の冷戦は、第2次世界大戦後に「アメリカvs.ソ連+中国」の構図で幕を開けた。だが、スターリン首相が死去すると、1950年代後半からソ連と中国が「兄弟ゲンカ」を始め、1960年代には「冷めた関係」になってしまった。

 

そこに付け込んだのが、米リチャード・ニクソン政権だった。1)中国をソ連からさらに引き離す、2)ベトナム戦争を早期に終結させる、3)中国ビジネスでアメリカ経済を活性化させる、といった狙いを秘めて、対中接近を図った。具体的には、ヘンリー・キッシンジャー安保担当大統領補佐官の極秘訪中(1971年7月9日~13日)、ニクソン大統領の訪中(1972年2月21日~28日)などだ。

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