「ヒトらしさを決める遺伝子」はいつ生まれたのか?

人類誕生と一致しない奇妙なストーリー
更科 功 プロフィール

合祖するまでのプロセス

今までの話で、FOXP2に関する、ヒトの共通祖先がヒトでないことは、頭ではわかった。でも、何となく、しっくりこない。どうすれば、感覚的に理解できるだろうか。
遺伝子が合祖するまでの時間やパターンは、いろいろな要因に左右される。

たとえば、自然淘汰が働いていると、ある遺伝子の頻度の増加が加速されることがある。遺伝的浮動も、合祖までのパターンに様々な影響を与える。だから、決まったパターンはないけれど、比較的よくあるパターンはある。それは、時間をさかのぼっていくと、初めは急速に合祖していくが、系統が減っていくにつれて合祖する速度が遅くなっていくパターンだ。

たとえば、時間をさかのぼるにつれて、たくさんの遺伝子が合祖していき、ついに系統が2つだけになった。もう1回合祖が起きれば、すべての遺伝子の合祖が完了する。ところが、この最後の合祖がなかなか起きない。多くの系統が合祖して2つになるまでの時間より、最後の2つの系統が合祖して1つになるまでの時間の方が長いことも珍しくない。合祖が完了する前の最終段階は時間がかかるのである。

【図】合祖の繰り返し合祖は、初め急速に進むが、系統が減っていくにつれて遅くなり、最後の2つの遺伝子の合祖は非常に長い時間がかかる

30万年前の時点で、初期のヒトが何人いたかわからないが、仮に100人いたとしよう。その場合、FOXP2遺伝子は、少なくとも200個あったことになる(1人ひとりが少なくとも母親由来と父親由来の2つの遺伝子を持っているため)。この時点で合祖が完了していないケースは十分考えられるし、そこからたった1つの遺伝子に合祖するまでには、かなり時間がかかるだろう。そして、その時間は、ヒト以前の人類種の中で、時間をさかのぼりながら経過していくことになる。

したがって、現在生きているすべてのヒトのFOXP2に関する共通祖先が、ヒトでなくても不思議ではないのである。

もしもFOXP2に突然変異が起きて、そのためにヒトらしい行動が進化したとすれば、それは100万年以上の時間をかけて、ゆっくりとヒト全体に広がっていったはずだ。だから、ヒト以前の人類、たとえばホモ・エレクトゥスやホモ・ハイデルベルゲンシスから、すでにヒトらしい行動が始まっていなくてはおかしい。さらに、ヒトが現れた30万年前以降についても、ヒトらしい行動をしないヒトが長いあいだ存在しなくてはおかしい。

でも実際には、ヒトらしい行動は、数万年前に急速に進化している。これは、1つあるいは少数の遺伝子の突然変異では説明しにくい現象だ(ほとんどの遺伝子の共通祖先は10万年以上前に存在していたと推定されている)。

【写真】ラスコーの壁画ヒトらしい行動は数万年前に急速に発達するが、1つないし少数の遺伝子の突然変異では説明しにくい。写真はおよそ2万年に描かれたラスコーの壁画 photo be gettyimages

では、ヒトらしい行動が進化した原因は何なのだろうか。はっきりとはわからないが、遺伝子の組み合わせが大きな役割を果たした可能性はある。ヒトらしい行動に必要な遺伝子(の変異)はすでに存在していて、それらがうまく組み合わせられた遺伝子セットが、自然淘汰によって急速に増加した場合などだ。あるいは、必要な遺伝子セットはずっと前から存在していて、ヒトらしい行動が進化した引き金は環境的なものだったのかもしれない。

ヒトの行動が1つあるいは少数の遺伝子によって決定されているという話は魅力的だ。つい飛びついてしまいたくなる。でも、そういう話には慎重になった方がよい。皆無ではないかもしれないが、あったとしても非常に稀な現象だろう。

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