2021.03.29
# ドラマ

『俺の家の話』は、「ドラマのお約束」をひっくり返した傑作だった…!

宮藤官九郎が込めた「メッセージ」
岡室 美奈子 プロフィール

能『隅田川』と亡霊が意味するもの

そして寿一は、最終話でもっとも深い境界を超えることになる。それは、生と死の境界である。第9話のナレーションで寿一自身が「奇跡は一度しか起こらなかった」と述べたように、最終回の第10話で、寿一が二度目の引退試合で亡くなったことがさくらによって伝えられるのだが、本当の奇跡はその後に起こると言えるだろう。

寿三郎は寿一の死を受け入れられず、死んだはずの寿一と会話をする。圧巻は、能『隅田川』の上演シーンだ。もう一度能舞台に立つことを願う寿三郎は、地謡(じうたい)として舞台に上がる。その目の前に、亡霊の寿一が現れるのだ。

能『隅田川』では、人買いにさらわれた息子を探しに隅田川にやってきた狂女が、ちょうど1年前に対岸で亡くなった子どもの話を船頭から聴かされ、その子こそわが子梅若丸であると気づく。夜になって大念仏と呼ばれる一周忌の行事で狂女が念仏を唱えて弔っていると、梅若丸の亡霊が現れ、やがて夜明けとともに消えていく。

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第9話で、寿三郎は寿一に、亡霊役の子どもを出さずに演者の力量で亡霊を想像させるべきという世阿弥と、子どもを登場させるべきという、世阿弥の息子で『隅田川』の作者である元雅との有名な議論について語る。寿一は「俺なら会いたいから出てくる」と言うのだが、まさにその通りとなる。言い換えれば、プロレスで死んだ寿一は、能『隅田川』の力を借りることで亡霊として姿を現すことができたのだ。

しかし『隅田川』が悲哀で終わるのに対して、『俺の家の話』は不思議と幸福感に包まれて幕を閉じる。なぜだろうか。

老いの肯定と幸福な結末

寿三郎にだけ寿一が見えるのは、寿三郎が認知症であることと無縁ではないのかもしれない。不可視の寿一と話す寿三郎の姿は、少なくとも他の家族たちには認知症の症状と映っただろう。しかし、そうだとしても、亡霊の寿一と言葉を交わし、初めて褒めることのできた寿三郎とそれを素直に喜ぶ寿一父子の姿は感動的で、彼らが2人だけのかけがえのない瞬間を生きていることがわかる。

それはひょっとしたら、老いて野菜の名前も満足に言えない、薄暮の世界を生きる寿三郎が、私たちの想像を超えた豊かな世界に生きていることを物語っているのかもしれないと思う。その意味で、これは老いを肯定するドラマでもある。

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