「家=内=血」と「外部」の間には厳然と境界線が存在するのだ。だから観山家がプロレスの世界と混ざり合うことなど、ありえないはずである。
しかし長瀬智也演じる寿一は、徹底して、さまざまな境界を超えて2つの世界を往還する者として描かれ、閉じた家を外部に開いてゆく役割を果たす。たとえば寿一は、あえて「スーパー世阿弥マシーン」と名乗ることでプロレスの世界に能を持ち込み、貧乏な出自のさくらからお金を借りることで貧富の差を反転させるなど、やすやすと境界を超えていく。

かつて寿三郎も外の女と関係と持ち、宗家を捨てる決意をしたものの人間国宝に選ばれて家にとどまった過去がある。能舞台に立てなくなったとき、寿三郎は欲望のままに「むき出しのじじい」になろうとするが、家族旅行の途中で会いにいった女たちは既にそれぞれの生活を営んでいて拒否される。では、なぜ寿一には境界を超えることができるのだろうか。
『俺の家の話』は、寿一が本来交わらないはずの二つの相反する世界を行き来することで奇跡が起こり、新たな関係が構築されていく物語である。その奇跡がどのように起こり、どのような関係が構築されていくのかを改めて見てみよう。
ハイブリッドな寿一が起こした奇跡
観山流宗家に生まれた寿一が宗家を継ぐことは、寿三郎に言わせれば「そういうもの」であり、当然のことだった。しかし父から決して褒められない寿一は、なぜ自分なのか、単なる世襲制だけではない何かがあるのか、と問い続ける。
そして答えが出ないままに父に褒められることを期待して、父との「共通言語」であったプロレスの門を叩く。家を捨てたわけではなく、むしろ父の愛を獲得するために外に出たわけだ。その結果父とは長年没交渉になってしまうが、寿一はその体験があったからこそ、「外部」から「俺の家」を見ることができるようになったのではないだろうか。