「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来

「言外の意味」が汲み取れなくなる…?
稲田 豊史 プロフィール

「飛ばした10秒」の中にあるもの

10秒飛ばししたり、倍速視聴したりする人たちは、物語を追いかけるのに必要な情報は、必ずセリフやナレーションで与えられるものだと信じきっている、ように見える。

しかし、映像表現とは、本来そうではないはずだ。

誰もいない部屋に、氷が溶けきってない飲みかけのウイスキーグラスがあれば、それは「それを飲んでいた人間が立ち去ってから、まだあまり時間が経っていない」ことを表している。妻のいる自宅に夫が帰ってきても、「ただいま」「おかえり」が交わされなければ、その夫婦がうまくていっていないことが暗に示されている。ある小道具が“必要以上に長く”映されていれば、その小道具は物語上なんらかの意味を担っている。

画面に写っている美しい自然や人の営みそのものを「ただ堪能する」のも、映像作品の醍醐味だ。ディズニーランドでは、乗り物に乗っていなくても、パーク内にただいるだけで楽しい。あるいは絵画鑑賞のように、撮影された対象物の美しい配置・構図・色合いをじっくり眺め、それらがどんなテーマの比喩になっているかに思考をめぐらせる。

しかし、10秒飛ばしや倍速視聴では、それらを汲み取りきれない。アトラクションからアトラクションの移動時に目隠しをされては、夢の国を堪能したとは言えない。自転車で美術館内を回るのは、芸術鑑賞ではない。

 

こういう話をすると、「うるさいな。細かいことはいいから、とにかくストーリーがわかれば、それでいいんだ」と言い返す人がいる。なるほど。

しかし、百歩譲って「ストーリーさえわかればいい」のだとしても、その飛ばした「10秒」の中に、ストーリー上重要な伏線になるカットが一瞬だけ挟まれていないと、なぜ観る前から断言できるのだろう。彼らはエスパーなのか。あるいは、「数秒後に何も起こらないことくらい、その直前の状況から簡単に予想できる」と踏んでいるのだろうか。

だとすれば、映像作品も随分となめられたものである。なめられて当然の作品があることも、否定はできないが。

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