「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来

「言外の意味」が汲み取れなくなる…?
稲田 豊史 プロフィール

「すべてをセリフで説明する作品」が増えた

3つめの背景は、セリフですべてを説明する映像作品が増えたことだ。

本来、映像作品は映像で語るものなのだから、役者が悲しそうな顔をしていれば悲しいことが伝わるし、無言でじっと汗をかいていれば絶体絶命であることがわかる。セリフやモノローグ(独白)で、「悲しい」とか「どうしよう」などと口に出す必要はない。

しかし、昨今の(とくに日本の大衆向け)映像作品には、いま自分が嬉しいのか、悲しいのか、自分がどのような状況に置かれているのかを、一言一句丁寧に、セリフで説明してしまうものが多い。言葉なしの映像だけを観て「読み解く」必要がないのだ。

たとえば、TVアニメシリーズ『鬼滅の刃』の第1話。主人公の炭治郎は、雪の中を走りながら「息が苦しい、凍てついた空気で肺が痛い」と言い、雪深い中で崖から落下すると「助かった、雪で」と言う。しかし、そのセリフは必要だろうか。丁寧に作画されたアニメーション表現と声優の息遣いの芝居によって、そんな状況は説明されなくても、わかる。

上記のセリフが原作どおりであることは、承知だ。しかし、モノクロの静止画であるコミックスと、カラーで動くアニメーションでは、情報量が格段に異なる。コミックスの一枚絵では伝えきれない情報をモノローグで補足するのはいいとしても、アニメーションになった時点で、その補足情報は必要不可欠と言えない。

 

『鬼滅の刃』に限らず、実写映画でも地上波ドラマでも、そういう作品がとにかく増えた。そういう作品ばかり観て育った人たち、あるいはそういう作品に慣れた人たちが、「セリフのないシーンは、飛ばしても支障ない」「字幕さえ追えば、状況は把握できる」という発想になるのは、当然だ。

もしくは、逆なのかもしれない。製作側の親切心で、長年にわたって説明過多の「わかりやすい」作品が世にあふれた結果、視聴者のリテラシーが育たなかったのか。

四半世紀にわたって屈指の「わかりにくさ」を誇り、それがまた作品の深みにもなっていた『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督・庵野秀明は、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』制作のドキュメンタリー取材を受けた理由をこう語った。

「面白いですよっていうのをある程度出さないと、うまくいかないんだろうなっていう時代かなって。謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」(NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル』、2021年3月22日放送)

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