自分を認められて
初めて「産みたい」と思えた

思春期特有のことで、いつか大人になれば変わるはず、と思っていたけど、根底はあまり変わらなかった。芸人になり、享楽的な生き方を知って、「まぁ、いつ死んでもいいや」程度にはランクアップした。

暗くて可哀想な人に聞こえるかもしれないが、このようなマインドは良い方向にも作用して、こだわりや執着を持たない身軽な人生を演出してくれた。執着がない人生とは、ラッキーなもので、ちょっとしたことでも恵まれている、と思えるのである
 
そして、守るものがないので、文字通り捨て身でいられた。誰もが嫌がる汚いことでも大丈夫。どう思われても構わない。どんな僻地に送り込まれても、最後まで生き延びそうな、たぎる生命力を持っていそうなのだが、そんな鋼のフィジカルとは裏腹に、メンタルは、金魚すくいに使うポイの和紙並みに破れやすい。
 
しかし、死ぬことは決して許されない。産まれるのも、死ぬのも自分で決められないのであれば、せめて生きてる間は、自分のやりたいようにやらせていただくぜ! それは、自分の命を引き受けたわけではなく、ただ開き直ってみただけだ。

写真提供/バービー

「今日も一日、生きた!」から、「最近、死にたくないなぁ」という欲が出てきた。健康でいたい。長生きしたい。やっと芽吹いた自分の人生に対する執着は、待ち焦がれた春風のようで、ふんわりとあったかい気持ちにさせてくれた。
 
つまり産みたいと思えずにいた大きな理由は、私自身が生きたいと明確に思えずにいたこと。大切なのは、自分自身の存在を認めることだったのではないか

やっと、自分の人生を引き受けられた気がする。そう思えたきっかけは、やりたいこと、ワクワクすることが他人に受け入れてもらえた実感が出てきたからだ。

文章で想いを伝えること、下着作りで笑顔を見られたこと、自分で作った動画で笑ってくれたこと。0から産み出す作業を認めてもらえて、自分のままで良いのかもと思えるようになったのだ

そうしたとき、ふと立ち止まると、「恐れ」というものが出てきたのだ。健康でいたい、長生きしたい。やりたいことをやれている現状は手放したくない。

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