生まれてこなければ
よかったと思っていた

三つ目が一番、自分の中で大きな変化だ。自分のやりたいことをやっていくうちに、もっと生きたい、と思えるようになったことだ

赤ちゃんと対面したとき、自分の命なんて屁でもないぐらい、爆速で差し出せるぐらい愛おしいと言う人がいた。「自分の子ども」は想像しただけでも、それはそれはかわいいだろう。他人の子どもを抱っこするとき、可愛くてぎゅっとしたくなるけど、大体他に大人がいるので恥ずかしくてできないけど、自分の子どもは恥ずかしさなど湧く暇もないほど愛おしいのではないだろうか。

だからこそ、かつての私は、この想いが拭えないでいた。
 
こんな苦しみばかりの人生ってやつを、一番かわいいであろう自分の子どもに経験させていいのだろうか?

人生に悲観的で、その鬱憤を酒で押し流していた頃、バーで友達とポエムや標語を作る遊びにはまっていたことがあった。私たちの不動のベスト賞は『生きるは地獄』
 
一番愛すべき人を、地獄に呼び出して道連れにするなんて、そんな酷なことしていいのだろうか。これは、エゴなのだろうか。
 
そう思っていたのは、私自身が「生まれてこなければ」と思っていたからかもしれない。「産んでもらった親に感謝しなさい」という言葉には昔から納得がいかなかった。大の大人になってまで、80年代ドラマに出てくる不良のように「産んでくれなんて頼んだ覚えねぇよ」と吐き捨てることはできないが、腹の底でツッパリ少女はまだ息を潜めていた。

写真提供/バービー