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あれから10年——福島原発事故で目覚めた私たちの「主権者」意識と権力者のせめぎあい

「否認の祭典」としての東京五輪

押し流された「戦後民主主義の虚構」

新型コロナ感染症に世界が揺れ、日本の政治が度外れた無能ぶりを露呈している今年、2021年は、東日本大震災からちょうど10年目の年でもある。コロナ対策をめぐっては「統治の崩壊」と見なすべき事態が進行するなかで、この10年間とは一体何であったかを考えさせられる。

10年前のあの日、大津波が押し流したのは、沿岸の街々だけではなかった。それは未曾有の原発過酷事故を引き起こすことによって、「戦後日本」そのものを、「平和と繁栄」を押し流した。戦後民主主義の虚構を押し流した。

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このことを察知した人々は、強い反応を示した。2011年4月10日、JR中央線の高円寺駅で私は電車を降りた。その日当地で開催された反原発デモは、後続する反原発を掲げた大衆示威行動のなかで最も初期のものに数えられえるが、集合場所の駅近くの公園には立錐の余地のないほど人が溢れていた(主催者発表の参加者数は1万5千人)。

駅のホームから下るときに耳に入った若い女性同士の会話をよく覚えている。

「何だか、こういうのって民主主義っていう感じがするよね」

その声の調子は、悲壮なものというよりも、どこかしら弾んで聞こえた。もちろん、福島第一原発の事故は、真に恐ろしいものであったし、いまでもその本質的な危険は除去されていない。それでもなお、この出来事はひとつのチャンスを与えるものでもあったのだった。

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