父の監督のもとでキャプテンに

この当時、鈴木選手のお父さんは荒川リトルの監督を務めていたという。そしてどんどん上達した誠也少年は、父のチームでキャプテンを任された。私自身、飛込監督の父のもとで競技をしていて、嫌な思いをしたことが多くあったので、他人事とは思えない。父親との関係性は良好だったのだろうか。

「息子ということもあったし、キャプテンを任されていたので、何かあれば全て僕にきたんです。僕も『うっせーな!』と反抗していたので、グラウンドでよく親子ゲンカをしていました。それでも無理やり野球をやらされることはありませんでした。監督の息子だから試合に出られたと思われたくなくて、『みんなより上手にならないと』という気持ちが無意識にあったかもしれないです。基本的に性格がしつこいので負けても勝つまでやりたくなる……あんまり出さないですけど一番になっていたいという気持ちは人より強いんです」

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父が監督であるが故の甘さは一切なく、むしろ最も厳しくされた。しかし鈴木選手はその環境に嫌気を抱くのではなく、きちんと嫌なことは嫌だと言っていた。言いたいことを言い合える父子関係にあった。ただただ、他の誰よりもうまくないと嫌だという一心で練習に励んでいたというのだ。そして小学3年生からは、父との秘密の特訓を積んだ時期もあった。

「3年くらいやっていたけど……ただ、その後父が病気で入院して、それからなくなりました。その時は特訓がなくなって本当に嬉しかったんです。あのときは野球をするのは好きだったけど、とにかく『やらされる練習』が嫌いでした。友達とみんなで野球をしに公園やグラウンドに行くのがすごく楽しかったです」

みんなと野球をする、それがただ楽しかった(写真はイメージです)Photo by iStock

格闘技に興味を持って、野球を辞めようと思った

とにかくみんなで楽しむ野球が大好きだったという鈴木選手。やめたいと思った時期はあったのだろうか。

「やめたいと思ったのは中学2年生のときです。『闘うってかっこいいな』と思っていた時期があって、格闘技をやりたいと思ったんです。最初そのことを父には言えなくて、母に野球をやめたいと言いました。そうしたら父が僕の部屋に来て『お前、やめたいって言ってるらしいな』『やめたいならやめてもいいよ』と言われました。でもそのあとに『でも母さんがそれを聞いてショックで夜泣いてたよ。あんまり母親を泣かすようなことはするなよ』と言われました。そのとき、色々やってもらってるのに頑張らないとなと思い、それからやめたいと思うことがなくなりました」

野球人生を歩み続ける覚悟を決めるきっかけとなった母はどんな人なのだろうか。

「何も文句を言わず、毎日朝食を作ってくれて汚れたユニフォームを綺麗にしてくれたり縫ってくれたり、色々やってくれました。元々口数の少ない母で、あまり喋らないんです。でもよく喋る父と口論になったとき、僕の意見を聞かずに喋ろうとする父に対して『うるさいな。何回も同じことを言うな』とボソッと言ってくれたり。僕がたまに悪いことしたときにボソッと言われるその言葉が心に刺さるんですよね。そういう存在です」

母親の存在は、今でも鈴木選手を支えている。その筆頭が「勝負飯」だ。

そぼろが勝負飯かもしれないです。元々少食に加えて、食事の回数を多くとるタイプだったので、朝よくそぼろを作ってくれて、夜またお腹が空いたらまたそぼろをかけて食べるみたいな。美味しくてずっと好きですね、今でも」