日本の若者が深い友人関係を築けなくなった「決定的理由」

冷たい友人関係が蔓延している
飯田 一史 プロフィール

――友達関係は不安定だし積極的に働きかけないと維持できないけれども、家族は気を遣わなくても壊れにくいので、家族回帰をしている?

石田 そうですね。「人それぞれに自由に人間関係を作れば良い」と言われても、簡単にはできません。努力しないと友人はできないし、かといって全然いないと体裁が悪い。今や難しく息苦しいものになっています。実はそれは恋愛もそうだし、職場の人間関係だって、転職や有期契約が当然の流動的なものになっています。離脱しやすく、壊れやすい関係性ばかりになった。すると何かあったときに相談する相手としてラクな選択肢がなかなかありません。ゆえに、家族がベースのものに戻っていく。

学生に訊いても、「親に悩みを相談するなんて気恥ずかしい」という感覚はなくなっています。むしろ、家族になら自分のマイナスな面も見せられるけれども、友達には自己を開示しづらいから親の方が話しやすい、と。

〔PHOTO〕iStock
 

「親友」という幻想

――新聞に書かれた友人に関する記事を辿ると、90年代半ば以降、文化・芸術・芸能やスポーツの中で報じられる機会、あるいは劇や小説といったフィクションで使われる頻度が増えるが、それは現実の友人関係が困難だからこそ、願望が物語の中に投影されている、と指摘されていましたよね。ヨーロッパで中世に騎士道物語が流行し、そこで描かれた恋愛観に現実の人間が影響を受けたのと同じように、今では純粋な友情は物語の中にしかなく、人々は物語を通じて作られたイメージを現実の人間関係に求めるようになっている、ということでしょうか。

石田 メディアがあるべき人間関係の理想の姿を映し出し、それを読者も望んでいると捉えるならば、そう言えると思います。象徴的なのは友情を強調する高校野球に関する新聞記事の顕著な増加です。今では当たり前になりましたが、80年代までは決して多くありませんでした。

また、私のゼミの学生の聞き取り調査によれば、学生達は友人関係に対して高い理想を持ち、「でも、そのような人はいないから寂しい」と感じています。ではそのために積極的に行動しているのかといえば「自分を晒すと拒絶されるかもしれない。だからできない」。しかしお互いに自己開示しないと何でも言い合える理想の関係は手に入らない――そんな厄介なジレンマの中にいます。

「友人」はこの不安定な社会のなかでなくてはならないもの、あると良いものと捉えられている。けれども「親友」については自信を持って「いる」と言える人はおそらく今や非常に少ない。幻想に近いものになってしまっています。

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